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人生を振り返ってみる

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【自己紹介】noteではこんな情報を発信しています!&サイトマップ

『2ヶ月でできる食事制限なしのボディメイク!根本原因から解決するパーソナルトレーニング』をコンセプトに、東京・銀座でパーソナルトレーナーとして活動しています。 これまでの経験と知識を活かし、お客様一人ひとりの体質や目的に合わせたオーダーメイドのトレーニングプログラムを提供しています。 食事制限なしで健康的に痩せたい方、怪我を繰り返す方、美容と健康を両立させたい方など、幅広いお客様のサポートを行っています。 【私の強み】 ⚫︎オーダーメイドのトレーニング お客様一人ひとり

社長になれそうで、なれませんでした

前回の記事はこちら  大分ご無沙汰になってしまいましたが人生を振り返るシリーズです。 働いていた会社が倒産してからのお話です。 転籍私の働いていたお店は幸か不幸か直営ではなく、業務委託という形で運営していたため、オーナー会社さんが未払い分の給与を肩代わりしてくれました。 ありがたいことに次の日にはスタッフ全員分きちんと振り込まれました。 色々すったもんだはあった様ですが、(一時的な緊急避難として)急遽オーナー会社さんの子会社に転籍。 元々の親会社はなくなりアドバイ

会社が倒産しました。

前回記事はこちら 入社してから1年半が過ぎた頃、新店舗の立ち上げのために浜松(静岡)に異動となりました。 ところが、この時入籍という人生の一代イベントを控えており、すぐに異動というわけにもいかず、辞令が出てから1ヶ月ほど遅れての新店舗への着任となりました。 職場と家の浜松ライフ無事入籍を済ませ、新婚早々単身赴任となり一人浜松へ。 これが3月16日のことです。 着任後はスタッフ研修やマシーンの設置や清掃などオープンに向けて準備の日々。 特段イベントもなく、うなぎを食

ワウディーとの出会い

前回記事はこちら 選抜大会が終わりひと段落。 トレーナーとして活動していると言ってもほぼボランティア。 一人で生活していけるレベルの収入が無かったことは前回書きました。 「この先どうする?」、と悩みつつも何かを変える努力をしていたわけでもなく、なんとなく刹那的に毎日を過ごしていました。 少し時間ができたので、専門学校の同期(Tさん)と吉祥寺に飲みにいくことに。 この日がこの後の人生を大きく変える一日となったのでした。 ワウディー吉祥寺今はもうありませんが、当時は

バスケ部のトレーナー

前回の投稿からだいぶ時間が経ってしまいました。 「バスケ部のトレーナーに就任」というところまで書いたので今回はその続きになります。※前回はこちら こちらの学校では2年ほどお世話になりましたが、「トレーナーの仕事とは何なのか?」、「パフォーマンスアップとは何なのか?」について考える良い期間だったと思います。 何がよくて、何が悪いのか? 試行錯誤の連続でした。 トレーナーとしてデビュー担当したのは23区内の公立中学校の女子バスケ部でした。 平均身長160cm(当時中学

トレーナーとして生きていく

 今回は専門学校編の終わりまで書きます。  前回は中学校のバスケ部の臨時コーチに就任するところまで書きました。  今回はその続き。  前回の記事はこちらから。 トレーナーとして生きていくこと フィットネスクラブでのアルバイト経験を経て、トレーナーになることを諦めかけていた自分に、またしてもバスケットボール部のコーチの話が舞い込んできました。   前回も書いたように、平日は学校があるので私1人での指導は無理。ということで一緒に手伝っていた2人には私がいけない日は願いし

専門学校で挫折しかける…

 今回からは1年間のフリーター生活を卒業し、専門学校に入学してからの話。2年間の学生生活を書いていきます。  前回の記事はこちらから。  今回は専門学校時代の話ですが、これからトレーナーになりたいという方は是非参考にしてください。  結論から先にいうと、今の時代何百万もかけて専門学校にいかなくてもトレーナーにはなれますし、稼げます。事実、コンテストに入賞しただけでトレーナーとしてデビューしているなんちゃってトレーナーもが沢山います。  でも、体のことを勉強するための基

アルバイト生活フリーター編

 前回からだいぶ時間が経ってしまいましたが、人生を振り返って見みるシリーズの続きです。  前回はミニバスのコーチ時代のことを書きましたが、人生に大きな影響を与えた期間だったのですが、意外とあっさり書き終わってしまいびっくりしました。  今回はフリーター時代の話です。  大学を辞めてから1年間フリーターとして生活していました。これも実家暮らしだったからこそ可能だった生活です。  今更ですが両親には感謝です。  生活費を稼ぐ必要がなく、小遣いと学費を溜めればよかったので

ミニバスコーチ

 続きです。  前回はミニバス(小学生のバスケ)のコーチの話を引き受けるところまで振り返ってきました。  前回はこちら ミニバスコーチデビュー、そして連戦連敗  特に深く考えずとりあえず的な感じでコーチに就任したわけですが、私自身がミニバスを経験したことがなかったので、小学生の練習内容やレベル感が全く未知の状態でのスタート。  しかも、です。  当時所属していた選手の中で6年生は0人。男女ともに5年生だけのチームでした。しかも、はじめたばかりということで、ほぼ全員が

引退、そしてコーチへ

 前回の続き。  高校2年生の夏までを振り返って来ました。  前回はこちら 44点差をひっくり返して そんなこんなで逃げ出すこともなく、無事夏休みは終了。  なんでそんなに辛くなかったのかよくよく考えてみたところ、部長特権で自分でスケジュールを組むことが出来た事を思い出しました。いい塩梅に休みを入れていたんですね。3日やったら1日休む。基本これの繰り返しだったと思います。  20年も前の話なので実はあんまり覚えていないんですよね。  覚えていることといえば、  

実はバスケ部出身です!

 銀座で活動してる今村です。  皆さんは自分の人生を振り返ったことってありますか?   最近野球関係のお仕事の依頼が多いので、講演先や指導先で野球経験者だと思われることが多いのですが、実は野球はやったことがありません(キャッチボール、バッティングセンターくらいはあります)。  専門競技は中学校から始めたバスケットボールで趣味程度ですが30歳くらいまでは毎週やっていました。  また、当然といえば当然かもしれませんが、お客様との会話の中で保険会社で営業をやっていたというと