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マルチリンガル絵本を作ろうと思った理由

こんにちは。対話を通して物語を綴る文章工房「物語のアトリエ」の安藤陽子です。ライターとして働きながら、ひとり出版社を立ち上げて絵本の制作に取り組んでいます。

7月中は、翻訳の校正が大詰めを迎えていました。いま制作している絵本は日本語・中国語・韓国語・英語・ポルトガル語の5言語を併記しています。先日、ようやく各言語の翻訳者さんの最終チェックが完了し、ほっとひと息つくことができましたので、今回は、なぜマルチリンガル絵本を作ることにしたのか、その理由について書いてみようと思います。


親子のあいだに共通の言語がない

私がひとり出版社を立ち上げようと決めた理由の一つは、「母語」の大切さを伝える絵本や児童書を作りたかったからです。「母語」とは、生まれて初めて出会い、親から受け継いで人間形成の基盤となる言葉(※1)です。幼少期に自然に身につけて、現在もっとも自信をもって自然に使っている言語のことを言います。

※1:公益財団法人海外子女教育振興財団「母語の大切さをご存知ですか?−海外での日本語の保持と発達」(2018)参照

私自身は100%日本語オンリーの環境で生まれ育ったので、「母語」について深く考える機会はありませんでした。しかし、2013年、結婚を機に新宿区に移り住み、子どもを育てるようになってから、「母語」がとてつもなく重要なものであると気づいたのです。

母語に関する衝撃の事実は、私と結婚する16年ほど前から新宿に住んでいた夫から聞きました。

「新宿にはね、言葉がまったく通じなくなってしまう親子がたくさんいるんだよ」

どういうことなのか、すぐには理解できませんでした。夫は当時、休日に地域日本語教室のボランティアをしていて、外国ルーツの児童・生徒が日本語で学習するサポートをしていました。新宿区には、約130の国・地域から来た4万人を超える外国籍の方々が暮らしているのですが(令和6年1月現在、区民全体の約13%)、お子さんが日本で生まれ育つ中、自然と日本語が強くなり、日本語が母語ではない親と言葉が通じなくなってしまうケースが往々にしてあるというのです。

実際、私が親しくなったバングラデシュ出身の女性は、お子さんが5歳の時点で「あの子が何を話しているのか、よく分からない」と呟いていました。

私は結婚前に地域情報紙の記者をしていたこともあり、「基礎自治体」「生活するまち」としての新宿区に興味・関心を持っていました。そのため、この事実を夫から聞いたときの衝撃はあまりにも強く、すでに出版社は退職していたのですが、すぐにリサーチを始めました。

日本で「母語」を継承するむずかしさ

自分自身も妊娠していたので、「もしも自分が、言葉が通じない国で初めての子育てをする妊婦だったら?」という視点で、小児科・産婦人科・保健所・子ども家庭支援センター・児童館・幼稚園・保育園など、さまざまな場所に足を運んで取材をしました。その結果、見えてきたのは日本で日本語以外の母語を継承することの難しさです。

自分が一番得意な言語(母語)で、感情をこめて子どもに絵本を読んであげたり、歌を歌ってあげたり、話しかけたりしたいと願っていたものの、子どもは1日の大半を保育園で過ごし、日本語のシャワーを浴び続けている間に、日本語しか理解できなくなってしまった……そういう声を数えきれないほど耳にしました。保育園や幼稚園の先生から「家でも日本語を使って子どもに話しかけてください」と指導されたり、子どもから「恥ずかしいから、日本語以外で話しかけないでほしい」と言われてしまうケースも多々あります。

母語が継承されない最大の問題は、親子間で円滑な意思疎通ができなくなってしまうことです。しかし、言葉は長年かけてじわじわと形成されていくもので、身長や体重のように成長具合を数字で明確に測ることができません。そのため、お子さんが小学校高学年や中高生になってから、ことの深刻さに気づく親が多いのが現状のようです。

目に見えないバリアに触れる・感じるきっかけになれば

いま私が制作している絵本のテーマは「ユニバーサルツーリズム」であり、これまで書いてきた母語継承の問題とは関係がないと思われるかもしれないのですが、「旅をする人も、旅行者を受け入れる全国各地の人たちも、母語=日本語とは限らない」という世界観で物語を描きたいと思った次第です。これは「旅をする人も、旅行者を受け入れる全国各地の人たちも、自分の足で歩行できるとは限らない」という世界観にも通じるものと思っています。

今回、マルチリンガル絵本の制作を通じて、目に見えない言語のバリア(barrier:that stops people from going somewhere)に改めて触れることができました。「無くしたほうが良いもの」ではなく、「世界の多様性や自分の輪郭を確認する手がかり」として、言語のバリアに触れてみてもらえたらと願っています。

中国語・韓国語・英語・ポルトガル語を選んだ理由

最後に、今回の絵本に併記した日本語以外の4言語をどのように選んだのかについても書いておきたいと思います。

出入国在留管理庁によると、令和5年末現在の在留外国人数は341万992人で、国籍・地域別にみると以下のようなランキングとなります。

①中国   :821,838人(公用語=中国語簡体字)
②ベトナム :565,026人(公用語=ベトナム語)
③韓国   :410,156人(公用語=韓国語)
④フィリピン:322,046人(公用語=タガログ語・英語)
⑤ブラジル :211,840人(公用語=ポルトガル語)

出入国在留管理庁「令和5年末現在における在留外国人数について」

使用者の多寡にかかわらず、色々な言語でこの物語を翻訳していけたら……という壮大な夢を抱きつつも、限られた紙幅の中に盛り込む4言語を選ぶにあたって、ポルトガル語は何としても盛り込みたいと考えました。

ブラジルには現在、約200万人の日系人の方々が暮らしているそうです。日本からブラジルへの移住は今から116年前の1908年に始まっています。さまざまな想いが交錯する中で言語・文化が紡がれてきた長い歴史をふまえて、ポルトガル語を加えたいと思ったのです。

タガログ語とベトナム語も日本では多くの生活者が使っている言語ですが、旅行者・生活者の双方が意思疎通できる共通言語として筆頭に挙げられるのはやはり「英語」ということで、英語も外すことができませんでした。

これらの言語の翻訳をどのように進めていったのかについては、また改めて書きたいと思います。最後まで読んでいただき、ありがとうございました!