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第33話 裏切者

秀吉との交渉役をやっていた石川数正。
過去、瀬名奪還でも交渉役をしていたことから考えると
実績も十二分にあり、家康の信頼も厚いものだったように、
みえていました。
が、大阪に行くたびに三河の国と大阪の栄え方の勢いを、
つどつど、目にしてきている数正にとって、
家康を含めた徳川家臣団が「井の中の蛙」に思えたことも、
事実だと思います。
また、天下人が信長から秀吉に変わったことで、
世の潮目が変わることも見切っていたのではないでしょうか?

石川数正が、岡崎城代の任を解かれた後、数正宅に酒井忠次が、
足を運び話をしにやってきました。

酒井忠次「お主が調略される奴でないことはわかっている。
     あくまで、殿と皆のことを思う手のことだとは・・・
     だが、秀吉にひざまづけば、これまで苦労して手に入れた
     全てを失う。三河も遠江も駿河も甲斐の信濃も・・・」
石川数正「国?国なんてものはなくなるかもしれん。」
酒井忠次「なんじゃと?」
石川数正「世は、変わろうとしている。大阪に行けばよく分かる。
     秀吉が天下を一統するということは、日本全てが
     秀吉のものになるということだ。三河であろうと遠江であろう   
     と、我らの国であって我らの国でない。そうゆう世になる」
酒井忠次「そんなことあってはならん。」
石川数正「乱世が終わるといのは、そうゆうことだ」
酒井忠次「国を失うことは、誰も受け入れん。少なくとも
     殿がそんなご決断をすれば徳川は終わる。」
石川数正「そんな皆を説得するのも殿の役目であろう。」
酒井忠次「国を守らぬ大名は、生きてはいけぬ。」
石川数正「それだけが理由かのぉ?」
酒井忠次「数正、お主にはみえているものがあるんじゃろう。
     殿と話せ。」

石川数正が言った「それだけが理由かのぉ?」
この言葉をどう解釈してよいのか私には図りかねました。
皆さまは、どうでしょうか?

さて、酒井忠次に促される形で家康に会いに行って石川数正に
家康は、言い分も聞かずに
徳川家康「幼い頃、わしはそなたが苦手でな。
     いつも叱られてばかりおった。
     そのおかげで今がある。そなたがわしをここまで
     連れてきてくれたんじゃ。
     そなたの言い分はわかっているつもりじゃ。
     だが、わしは、こうするほかないんじゃ。
     勝、手立てが必ずある。そなたがいれば、
     そなたがいなければ出来ぬ。」

家康は、石川数正が大事な家臣であることや恩があることも、
熱く語ったのだと思いますが、冷静にみると家康が数正より、
若かったなぁ~と思うのですよ。
数正は、「秀吉にひれ伏せた方が良い」と主張していたにも関わらず、
家康は「抗う」と言っています。
それも、抗うためには石川数正が必要と伝えています。
石川数正からしてみたら
「自分がいなければ意地を張らずに、秀吉にひれ伏し家康が
痛い目に合わない」と感じてもおかしくはないのではないでしょうか?
また、家康のこのような意地の張り方は武田勝頼と同じで、
国や民、領地のことを考えてではなく「亡き人」との約束のための
意地の張り方なので「今、ここ」にいる人を見ていないとも感じます。
家康は、そこまで考えて石川数正に話をしたのではないと思いますが、
しっかりと石川数正の話を聴いていなかったということがわかります。

人は、本当に話を聴いてくれる人を大事にします。
自分がそこにいることを認知してくれている人と判断するからです。
家康は、石川数正を本心で大事だと言っていたとしても、
自分の話を聴いてもらっただけに過ぎません。
しかし、石川数正は本当に家康を殿として仕えたい気持ちが
強く、良く話を聴いてしまったと考えらるのですよ。
つまり、傾聴をしていたとも言えます。

結果、石川数正の出奔になりました。

石川数正の出奔については、様々な説があります。
今回は、家康のことを考えて出奔した説をとったんですね。
石川数正は、没年にも異説があり最後までなぞが残りる人です。


     
     

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