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第17話 うつろい

前回に続き道隆のお水を飲む量が増えて「目がかすみ、
手がしびれる、のどが渇く。これは誰ぞの呪詛に違いない」
安倍晴明「どなたかお心当たりでもございますか?」
藤原道隆「心当たりはありすぎる!道兼、詮子、道長とて
     腹の中までわからぬ皆、儂の死を望んで居る。」
安倍晴明「それは呪詛でございません。恐れながら、ご寿命が
     尽きようとしております」
藤原道隆「晴明!お前の祈祷で儂の寿命を伸ばせ!」
安倍晴明「難しゅうございますが、やってみましょう」

いやいや・・・安倍晴明の言うことが正しいでしょう
屋敷に帰った安倍晴明は、従者の須麻流に関白の病の平癒を祈っておけと
命じます
安倍晴明「お前で良い、もう関白は何をしても助からん。
     あぁー疲れた、病の物の穢れをもらった。いけないいけない」
いやはや、この時代ならではだと思いますが、安倍晴明は、
多くの病もみてきたのでしょう。
正しい判断です

さて、さわがまひろのところに訪れました
石山寺では「蜻蛉日記」の作者から話を聞き、さわから手紙を
写していたことを聞き、まひろは「書く」と言うことに対して、
まひろにとっての何かを感じたのではないでしょうか?

つまり、幼い頃に養育者に認められるために「このように生きる」と
決めた決断は、大人になれば見方も変わり新たな決断をしていきます
幼児期であっても自分が決めた決断は自分で変えていいのです
幼児期の決断は世の中の一部しか知らず、未熟なうちに生き延びるために
決断したものだから、大人になっても従い続けると全てとは言いませんが、
上手くいかなくなっていきます

養育者も悪気があったわけではないのです
例えば:お買い物をしたらお金を払う
当たり前のことでしたよね
これを悪意を持って養育者が教え未熟な自分が受け取ったと言えますか?
当時は通じた常識です
しかし、今の時代ではお金を払わなくても買えるのです
~ペイやクレジットカード決済もありますよね
もし、支払い方をお金以外をお使いの方は決断を変えたと言えます

道長も兼家から言われた「家の繁栄だけを考えていればよい」と
言われましたが、そこにこだわっているでしょうか?
国のために、政のために奔走し始めるのではないでしょうか?

気がつかないところで「~さえしていれば生き延びることが出来る」
もちろん、お仕事でお金を稼ぐことも必要ですが、
強く「~さえしていれば存在していても良い」なのでしょうか?
「~さえしていれば親に認めてもらえる」のままで良いのですか?

少し、自分を追い詰めているようなことがあれば振り返ってみてもらえると
少しは楽になるのではないでしょうか?   


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