15話 足固めの儀式
写真は、上総之介広常塔と言われているものです
前宣伝では「トイレに行かれないほどの神回」と言われていたので、
オープニングの間にトイレにダッシュしましたw
御所で上総之介と梶原景時が双六をしている時に、
源頼朝の命で梶原景時が突然、
切り伏せたと史実でも伝え残ってはいます。
ただ、御家人が集まっている時に見せしめとして謀殺(謀殺)とは
思っていなかったので、刻々と近づいてくる「その時」を
双六の準備や善治のひょろっとした登場やサイコロの四の目で
感じながらの上総之介広常の退場でした
のち、
安達盛長「見つかった鎧の中から、このようなものが・・・」
上総之介広常が書いたと言われる
鎌倉殿の大願成就のための願文がみつかった
この時の頼朝や義時の気持ちはどうだったのだろうか?
想像するしかないのですが、頼朝は後から後悔したとは言われています
ただし、願文は吾妻鏡にしか記載は残っていないそうです
さて、今回も苦悩に満ちる義時ですが、
非常に彼の性質と言いますか、個性が出ていたと感じました
危機管理能力は、強くあり適材適所で人に合わせて対応に目がいきました
例えば、土井実平のところに行き
北条義時「本日の集まり誠に鹿狩りのためでございますか?」
土井実平「どういうことか?」
北条義時「反旗をひるがえすことにためらいを覚え、
それで戻ってこられたのでは?」
土井実平「わしの口からは・・・言えぬ」
北条義時「では、私が謀反の有無を問いますゆえ、
有の時は1度、無しの時は2度うなずいてください」
土井実平の立場も気づかいながら、欲しい情報を得るために、
恫喝だけではなく、相手が答えやすい方法を提示したことがわかります
また、鶴岡八幡宮に向かった和田義盛を説き伏せる時も
過去に和田義時が決意した結果、頼朝が立ち上がったことを伝え、
今があることを訴えた
ここは、共通点を共有し情で訴えたように見えるが
過去を振り返り、和田義盛の行いを自ら客観視させ、
「今、ここ」の事態を分析し冷静になることを促したように感じた
良い意味で義時の説き伏せ方は、
クレーム処理でも使える方法だと考えられます
ただ、やっぱり義時は良い人すぎて頼朝や大江広元のようにな
考えはなく純粋に「板東武者のみんなで仲良く・・・」が根本にあり
穏便に、争いごとを少なく平和に楽しく豊かに・・・の思いが
強すぎてしまい、頼朝の「今、兵を引けば全て許す」の一言を真に受け
疑いもせずに心を傾けて行動を起こします
信じていた一言にすがりつくような必死な行動に対して、
上総之広常の謀殺は、ドラマの義時の傷つき方は安易に
想像することも出来ないかと思います
大江広元「もっとも頼りになるものは、もっとも恐ろしい」
この一言は、今の世の中でも通じるのではないかと思います
しかし、この一言ばかりにとらわれると人を信じることが
出来なくなってしまいます
非常に難しいさじ加減となりますよね
ここからは、ちょっと余談の旅行記です
つい、先日、朝夷奈切通し近辺に行ってきました
朝夷奈切通しは、最近まで通行止めになっていたんですよ
今回は、横浜側から入ってみました
大船駅から逗子に向かい、京急逗子・葉山駅に徒歩で移動
(当然、ここで迷子 道を教えてくださった方に感謝)
逗子・葉山駅から金沢八景駅に向かいました
金沢八景駅から朝比奈バス停へ移動
バスを待つ時間が20分ほどあったので瀬戸神社にお参り
朝比奈バス停から少し戻ると上総之広常塔があります
金沢八景からバスに乗ると反対車線の道路に面したところにあります
さらに、ほんの少し戻ると鼻欠地蔵(磨崖仏)もあるのですが
時間の都合上、今回はパス
上総之広常塔から朝比奈バス停に戻る途中に朝夷奈切通し入り口があります
看板があるので、すぐにわかります
アスファルトに慣れている現代人には歩きづらい凸凹ではありますが、
横横の高架をくぐる辺りを見ると、現代と過去が交差しているのが、
不思議な気持ちになります
途中に分かれ道があり熊野神社に行くことが出来ます
真っ直ぐに伸びた木々の先に熊野神社が見えました
(ちょっと不安になる距離ですが、よそ見をせずに1本道)
拝殿の裏にかなりきつい本殿に向けての階段もありますが、
ゆるやかな階段もそばにあるので、ご無理なさらないでください
元の分かれ道まで戻り、鎌倉方面に歩きます
落石注意の看板もあるので要注意ですね
岩を気を付けてみながら歩くとやぐら?もたくさんありました
昔は頂上辺りに、茶屋があったらしく建物は残ってませんが
土台は残ってます
壁に掘られた仏様もいらっしゃったり、金沢から鎌倉に抜ける
重要な塩の道だったことがわかります
途中からは、水の流れとともに歩くので防水した靴は絶対です
知らなかったのですが、朝比奈切通しではなく朝夷奈切通しと言うらしく
比と夷がなぜ違うのか?はわからないそうです
鎌倉側には三郎滝があります
後はバス通りに向けて歩くだけなのですが、途中に大刀洗水があります
梶原景時が上総之介広常を切ったあとに刀を洗った場所だそうですが、
ここから、十二所果樹園までほんの少しの距離で、十二所果樹園の
あたりには、上総之介広常の屋敷があったそうです
十二所のバス停の向かいには十二所神社
バス停から鎌倉駅方面に3分ほど歩いたところに大江稲荷
大江稲荷から鎌倉駅方面に明王院(今回は行ってません)まで
ほぼ2Km。そして、梶原屋敷跡この辺りがあります
大蔵御所で上総之介広常を切り、朝夷奈切通しの上総之介広常の屋敷のそばの大刀洗水まで行って刀を洗って、明王院近くの屋敷に戻った?
刀を洗ったのは梶原井戸じゃないのかな?
なんてことを妄想しながら今回は岐路に着きました
まぁ~十二所は、交通の要所として名だたる武将が守りを固めていたの、
かもしれないと思えるほど屋敷の過密ですね
とは言え、広い屋敷だったのでしょうね
余談の旅行記が長くなりました・・・