見出し画像

第28話 本能寺の変

今までにない本能寺の変でしたよね。
何というか・・・実際に見たこともないので何とも言えないのですが、
信長の血のりが違和感しかなくて・・・
もっとも、実際に見ることのない暮らしをしていることに感謝としか
いいようがないですが・・・。

今回、注目したいのは冒頭の信長の幼少期の回想シーンです。
信長は、父の信秀の下で厳しい教育を受けていました。
竹刀を持った怖そうな先生?に厳しく見張られて、汗を流しながらも
必死になって勉学に励んでいました。

なぜならば、
信秀「誰よりも強く、かしこくなれ。お主の周りは全て敵ぞっ!
誰もがこの首を狙っておる。身内も家臣も信じるな。
信じられるのは、己一人。それがお主の道じゃっ!」
大好きなはずの父親から「信長が生きる道」を強く言われていたからです。

信長は、従順に父親の言いつけを守り己が道と心得頑張っていたのでしょうが、心にたまる何かを必死に押さえつけていたのでしょう。
ある日、突然爆発して大暴れしてしまいました。

交流分析では、人の行動として出てくるときに5つの心の機能のを
使っていると言われます。
父親から厳しく押さえつけられていた信長の心は、
従順となる心を使っていました。
しかし、この従順となる心を使うには自由に行動したいと感じている心に蓋をする役目もになっています。
指示に従ってさえいれば存在していても良い
環境に適応してさえいれば生き延びることが出来る
ここに入れさえいれば命を守っていられる
幼少期に生き延びるために決断しました。
もちろん、意識して決断したわけではないと考えられます。
だって、そこで衣食住を与えられて生きてきて、そこでの生活しか知らないのですから生き延びる決断するのは当然のことでしょう。

ところが、人は自由に生きる心の中には自分で生き伸びる本能や直感も含まっているので「このままでは、自分が壊れる」と感じ自分を守るために、
押さえつけていた従順となる心の蓋を払いのけその場の環境を変えたと考えることが出来ます。 

コロナ禍を経た今の人によってさまざまなことを感じられたかと思います。
私は仕事がないことで「自由」を感じました。
出来ることならコロナ禍が過ぎ去ったとしても、この自由な生き方を少しでも継続していきたいとも考えました。
今、5類になったコロナですが「自由」をそこそこに味わった人は、
コロナ禍の前の生き方が難しく感じている方もいらっしゃるのではないでしょうか?
当然、信長のような爆発はしてはいけません。
また、やけになって自分を傷つけるようなことをしてもいけません。
しかし、小さなことから自由に環境を変えることが出来ることも忘れないでください。
気が付かないところで行っている決断は、いつでも意識して変えることが出来ます。自分の中の生きる力を信じてあげてください。

あと・・・気を付けてお水は飲みましょうね。
体の水分が足らなくて熱中症になるのはご存じかと思いますが、
それ以上の病気になることもあります。
この暑さです。どうぞお身体をご自愛ください。


えな塚

茅ヶ崎市円蔵神明大神宮から住宅街を抜けて茅ヶ崎I.Cまで歩き
バイバスをくぐると、景色が広がります。
すぐそこは相模川です。
藤沢からこの辺りまで大庭御厨だと思うと広いなぁ~
とは言え、実はだいぶ前に文明の利器を使って近くまでいったのですが、
バイバスの下って・・・よくわからなくなるのでたどり着けなかったのですが、歩きで正解!止める場所がありませんでした。 

 源頼朝の側室だった丹後局との間に生まれた子どもの胎盤が埋められてるとも言われていますが・・・胎盤を埋めてどうするのやら?
が、その生まれた子どもが島津家の祖となった島津忠久と言われています。
島津家は、明治維新の時に鎌倉の頼朝のお墓を直したのなら、
ここも何かしていてもおかしくないと思うのよね。
勝手な推測ですが。。。

もう一説には、大庭景義のお墓とも言われています。
この日は霞んでいたため見えませんでしたが、多分、富士山がよく見えるのでは?とも思ってします。

妙雲寺

さて、その丹後局が島津忠久を生んだといわれる桜屋敷。
妙雲寺のあたりにあったと言われています。


宝生寺

北向き地蔵さまです。

信濃善光寺の本尊を模写したものと言われています。
大庭景義の持仏ともいわれている像。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?