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第17話 三方ヶ原合戦

「いまこそ桶狭間をなす時ぞっ!」
信長と自分を比べて、武田信玄に「弱気主君は害悪なり。滅ぶが民のためなり」なんて言伝を受けて真っ向から挑もうとしてしまう家康・・・。

浜松城を信玄に素通りされたように見せられてしまった、
家康家臣団ですが、家康は信長に対して
「策は、桶狭間。家康。それしか手はないと存じます。」
自分をえさに桶狭間のように勝つと啖呵を切った?ような?
ところが、武田信玄に素通りされてしまう。
この時の家臣と家康は、武田信玄に見透かされている通りに、
「まずは、家臣一同揉めるであろうな。」
バカにされたように感じている徳川家臣団は、家康筆頭に
「家康はここだぞ!」とまで叫んでしまっています。
酒井忠次「とにかく、落ち着いて考えることじゃ。
     この戦の成り行きを遠江の民が見ておる。
     そのまま素通りされたらいい笑い者。
     誰も儂らについてついてこんじゃろう。」
織田勢の意見は、籠城
榊原康政「しかし、武田軍を無傷で岐阜に行かせたら、
     それこそ切腹ものなのでは?」
そんな中、いつでも先発部隊で諸突猛進な本田忠勝が
うってでることに反対した。
そこで家臣は「殿、どうする?」「ご指示を」「殿、お指図を」
もし、この場に私がいたら胃に穴が開くわぁ~と思います。
しかし、家康は「我らが武田に勝る点があるとするなら一つ。
        この地についてじゃ。」
これって、家康は基本的に人に対しても良いとこ探しをしていることがよくあるように感じるのですよ。
結果、出てくる言葉がポジティブな方向性の言葉が出てくるように感じるのですよ。
ポジティブなもののとらえ方は、決して投げやりではなく周囲がもっともだと思える言葉に重みがないと意味がないのですが、普段の人柄を積んでないと説得力がありません。
普段から家康は良いも悪いも、言葉と態度が一致しているからこそなのではないでしょうか?

さて、次回は「真・三方ヶ原合戦」だそうで・・・「真」がつくんですね。

日蓮乞水

紀行の続き
名越の切通しから鎌倉駅に向かう途中にある「日蓮乞水」(鎌倉五水)
日蓮が枝をついた際に水が湧き出たという伝説があるところです。

踏切を渡り安国論寺方面に向かうと、何気ない道端に大黒堂があります。

 文政三年の鳥居
道祖神と庚申塔

大町大路にある安国論寺の前を通り、安養院まで一気に進みました。
実は疲れて、早く帰ろうとしか考えてませんでした。
グーグルマップで位置を確認すると安養院のところに「伝北条政子の墓」の記載があり、寄ってみました。

安養院の説明版
本殿と本殿裏の祇園山
左が北条政子のお墓
右が宝篋印塔
祇園山の説明

「現在も斜面には尊像の台座の一部を確認することができます。」とありますが、私はわかりませんでしたw
でも、横須賀線から尊像を拝むことが出来たって…すごくないですか?
古写真が残ってたら嬉しいのだけどなぁ~。
しかし、祇園山で思いついてしまいました。
4月にニュースにもなっていた祇園山ハイキングコース!
今度は元気を取り戻し八雲神社に向かいました。



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