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第28話 名刀の主

梶原景時への66名の連判状付きの訴状が大江広元の手に渡り
頼家から謹慎を言い渡されることが分かっていたので、
少し、暗いイメージを持ちながら私は、見始めました

ところがどっこいです
さすが三谷幸喜氏の脚本だけあるなぁ~と思ったオープニング前

訴訟の取次の評議において
和田義盛「表に出ろ!」
比企能員「表に出ろと言われて表に出て良かった試しはない!」
大の大人が言うかなぁ~?
大の大人が言うから面白いのがドラマなのですがねw

頼家も頼家で側近に6人衆に関しても腕に覚えのあるものを
選りすぐったと言っている割には、北条五郎(時連)に向かって
源頼家「北条の五郎、お前はこの中で誰よりも若いが臆するな!
    存分に暴れて良いぞっ!」
と、北条時連(ときつら)に向かって言ってしまう
北条時連は、北条政子にも太鼓判を押された童顔で6人の中では、
1番の年配者だった
頼家の「選りすぐった」とは?と笑ってしまった

また、頼家は頼朝の言葉を再び繰り返した
頼家は、安達盛長の息子、安達景盛の妻ゆうを譲れと言い出した
人妻を・・・と思うのは現代人だからかもしれませんが、
安達盛長は、鎌倉殿の名に傷がつくことを懸念して抵抗しました
安達盛長「家を焼き払われようが、鎌倉を追われようが、例え首を
     はねられても、私の心は変わりませぬ。
     お父上を悲しませてはなりませぬ」
源頼家 「よう、もうした」
この、「よう、もうした」は、
頼朝が板東武者にどうして頭を下げねばならない!と
義時に怒ったことがあり、義時に諭されるシーンがありました
頼朝は義時に対して発したのが「よう、もうした」と言って、
義時の指摘通りに行動しました
残念ながら頼家は父、頼朝ほどの器量がなかったようで、
「安達親子の首をはねよ」って言っちゃうんだなぁ~頼家君

三谷幸喜氏の脚本は、重複した言葉を立場が違う人が伝えることで、
対比するように観察することができます
また、重複と言えば訴状を出す手配を、
北条義時・和田義盛・三浦義村・畠山重忠・実衣で密談している時も
三浦義村「心配するな。俺は裏にまわる」
畠山重忠「私もお手伝いを・・・」
三浦義村「お前は裏にまわるな。見栄えが良すぎる」
畠山重忠「そうですか・・・やはり見栄えが・・・」
見栄えが欠点のような話になってしまいますが、この畠山重忠の見栄えも
鎌倉入りをする時の先頭にすることを頼朝が畠山重忠にする理由でした

頼朝亡き後も頼朝を忘れることなく思い出すような気持になります
本音は、頼朝というより「(大泉)洋ちゃん、名演技だったものなぁ~」
と、改めて感じ入ってしまいました

さて、今回、取り上げたいと考えたのが頼家です
頼家は、生まれながらして宿命を背負い生活していたのかと想像します
例えば、ドラマの中であった内容ですが、
幼い北条泰時と安達景盛がケンカをしたことがありました
この時、親北条義時は安達盛長に謝罪に行っていま
親として人として北条家の人間としての振る舞いを教えたものでした

頼家の幼い時のことはわかりませんが、
次期鎌倉殿として育てられ、義時の妻
「ひな遊びのようにかわいい比奈でございます。(天が望んだ男)」の比奈は、「鎌倉殿と13人」の回で「私、幼い頃からあのお方を見てましたけど、困った時ほど助けてくれと言えない性分なんですよ。気に登って降りられなくなっても絶対に助けてくれと言わなかった。本当は助けてほしいのだと思いますよ」と幼い時の頼家のことを義時に語っていました

このことから推測する範囲で考えられることは、
幼い頃から父頼朝は、すごい!偉い!と言われ続けて
でも、自分は富士での狩りでは思ったように狩りも出来ない
(ドラマでは、小鹿を狩ったことになってるような・・・w)
それでいて、周囲からは腫れ物に触るような持ち上げ方をされてばかりいたら、余計に自信がなくなり自分の立ち位置に不安を感じます
何をしても頼朝と比べられて思った通りにいかないもどかしさと
自分の力を自分の影響力を試しているように感じました

父、頼朝のような・・・が、条件付けとなった存在認知が、
苦しかったのではないかと推測しました
人は「~ができれば存在して良い」とばかり言われ続けると、
「~ができない自分」の存在を自分で認めることは
難しくなるのではないでしょうか?

少し、蛇足です
66名の訴状が提出された梶原景時は、頼家から謹慎を申し付けられて
寒川町の寒川神社の一之宮に蟄居します

梶原景時館址


梶原景時館址にある天満宮

水路から広さがわかると言われますが・・・回り切れませんでしたw

梶原景時をめぐるツアーは、大盛況だそうです
寒川町は、寒川神社も有名ですが古墳もあり今は埋めてしまっていますが、
岡田遺跡からは縄文時代の遺跡も発掘されている場所でもあります
未発掘の場所もありますが、推定1000軒~1500軒規模の集落があったのではないかと言われています

梶原景時館址の墓石群

「刀は、斬り手によって名刀にもなればなまくらにもなる。
決めるのは斬り手の腕次第」
ドラマのセリフの中の言葉ですが、「なまくらになりたくなかった」
梶原景時を演じられた中村獅童さん
すごく良かったです!

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