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第25話 はるかに遠い夢

五徳が送ったといわれる、十二か条の訴状を信長から五徳を守るために
使う脚本とはなかなか・・・なるほどでした。
史実はわかりませんが、これは「大河ドラマ」ですから。。。
五徳が岡崎から安土に戻ったのは、信康の死から2か月後と聞くと、
これは、本当のことかとも思えるし
「家康が関東へ移封となると、井伊直政、本多忠勝、榊原康政は、10万石以上を与えられましたが、忠次の息子、家次には3万石しか与えられませんでした。この大差を不服に思った忠次が家康に申し出ると、「お前も我が子が愛おしいのか」と諫められたといわれています。かつて、家康の息子であった信康は、信長の命で自害。この時、信長との調整役をしていた忠次が、それを防げなかったことへの家康の恨みが込められているともいわれます。」
(下記サイトより文中引用)
違うかもしれない・・・とも思える際どいものですね。

昨今、歴史の研究がなされ様々なことが変わってきています。
瀬名(築山殿)は、悪女と言われ続け徳川のために命を落としても当たり前と考えられてきた節があります。
紀行巡礼でも語られてましたが「瀬名は悪女である。という記述は全て江戸時代のものである。」
何かの理由から、記述や口伝が変わったものかもしれません。
「どうしてなの?」と聞かれた大人が説明できなくて、家康が悪いとも言える時代でもなかったため、知らない弱みを隠すために「瀬名は悪女である」と言ったのかもしれませんね。

昔の人と比べて現代の人は情報量が多くなっています。
誰が言ったのか忘れてしまいましたが「江戸時代の人の一生分の情報量を現代人は1日で得ている」と聞いたことがあります。エビデンスはありませんが、さもありなんでしょう。

巡礼紀行で
松本潤 「あれだけ残ってないってやっぱ不思議だしね。
     結局その後世、生き延びた人たちが書いていることだから」
有村架純「だから本当、歴史っていうのは、そこの間にどうゆう感情があっ 
     てどう働いていったかっていうのは・・・」
松本潤 「わかんないね」
本来、このやりとりが1番大事なことで、その時代を生き延びた人がいて、
様々な感情が動いて記録を残す残さないの選択をした。
それが、「今、ここ」でわかっている事実だと思うのですよ。
ドラマで瀬名が悲しい終わりを迎えた回だったので、
この二人にやりとりは、飾ることなく率直に今、わかっている歴史を尊重したやりとりだと感じることが出来てホッとした気持ちになりました。

言葉と心が一致していないと相手に誤解を生じさせることにつながります。
「わからない」ことを精一杯思い出し考えたけど「わからない」であれば、
素直に伝えたところで相手の信頼を失うでしょうか?
思い通りにならなくて怒る人もいるでしょうが、誠意をもって「わからない」を伝えたのであれば、深く悩まずに今後に向けての糧にする気持ちの切り替えをすることのほうが問題解決になるのではないでしょうか?
「わからない」に強いプライドが必要でしょうか?
そんなことを感じた回でした。

馬場公園(ばんばこうえん)
ばば公園と勝手に読んでいたら「ばんば公園だよ」と
地元の方に教えてもらいました。
地名って難しいです。

馬場公園

神揃山で座問答の神事が終了すると、六所神社に各社1名の使者を六社神社に出します。
これを七度半の迎神の儀と言います。
使者を受けた六社神社は、使者を先頭に「大矢場」に向かいます。
この「大矢場」が馬場公園となります。
六所神社の神輿が入場すると舟形舞台で舞が舞われます。
「鷺の舞」は3種の舞により構成されており、平安時代に国司や貴族をもてなすための舞であったそうです。
「鷺の舞」天下泰平
「龍の舞」五穀豊穣
「獅子の舞」災厄消除

「鷺の舞」が奉納されているところへ、神揃山から下山してきた、
一宮から五宮の神輿が入場する。

なんとも不思議な神事だと私は思いました。
平安時代から続いている祭事には、時代の流れの中で起きた変化も
あったと思います。
何で読んだのか覚えていませんが、三宮の比々多神社のお神輿は、
当時は当然ながら、人が担いで神揃山に集いました。
その際、田畑を踏み荒らし一直線に神揃山に向かったそうです。
踏み荒らされた田畑の持ち主は、怒ることなく縁起が良いと言って、
喜んだとか・・・現代では車の移動ですけど・・・
何と言いますか・・・一直線と言いながらも毎年違う田畑を踏み荒らしたのだろうか?それとも、コッソリあぜ道でも作ったのだろうか?
そんなことを妄想してみたり、そもそも、一宮の寒川神社と二宮の
川勾神社のパワーゲームの禅問答を平安の時代から現代まで続ける、
パワーを考えると「偉いもんだ・・・」と心から賞賛の気持ちと
なぜなんだろう?といった好奇心がムクムクと沸いてきます。
とは言え、人混みが好きではないので祭りを見に行くかと言われれば、
余程の気が向かないと行かないとは思いますが、湧いてくる好奇心は、
収めることなく持ち続けていれば、ご縁があれば何かを目にすることが出来るかと楽しみにしたいと思います。


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