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第23話 瀬名、覚醒

なんでしょうね。
何回も観てしまいました。
その人がその人らしく生きていくことが出来ないことで、
人が徐々に壊れていくのを先週から見せられているように感じます。

当然ながら、瀬名は武士の娘だったとは言え、基本的には
平和な時代の今川家で生まれ育っている雅なお育ちです。
しかし、育てなくてはならないのは戦国の武士。
あくまでもドラマの中では「虫も殺せぬ若殿」だったはずの、
信康は「強く」を求められました。
その息子の変貌ぶりを側で見ていた瀬名は辛かったのでしょう。
石川数正「お方様が侍女も門番も入れ替えたそうで、
     ご存じでございましたか?」
徳川家康「いや、別に構わんが・・・」
石川数正「水野殿が申していたことが気になって・・・」
徳川家康「あんなものは妄言じゃ。
     瀬名は、ただの草花が好きなたおやかな妻じゃ」
家康も本当は、水野信元が切られる前に言い放った、
水野信元「お前も裏でこそこそやっとるんじゃろう。(中略)
     だったらお前の身内の誰かじゃ。(中略)
     気をつけろよ家康。信長は全てお見通しだ」
気にかかっていたようですが、妄言と言い現実を受け止められずに
いたように感じます。

自分が予想していない方向に現実が進んでいるのだけど、
大丈夫じゃないかな?多分・・・良くわかんないけど・・・。
その程度ならまだしも、「大丈夫だよ。と思いたい。」が
ひっそりと心の中で気がついていることを無視してしまい、
問題は起きていないと思い込みたい時は問題が大きくなっていることが
多くあります。
また、冷静に問題を見極めないと問題解決の方向もズレていきます。
交流分析ではディスカウントと言います。
どうか、心が感じたちょっとした違和感を大事にしましょう。



寒川神社で説明があった国府祭が気になり二宮まで行ってきました。
二宮駅からバスで新宿国府で下車で六所神社へ

参道には大きな木があり、本来の神社の大きさを感じます。

六所神社は、大化の改新後、国の行政も次第に整い、国司の制度が始められてゆく中、元正天皇の御代養老2年(718)、奉遷暦勅をもって相模国八郡神祇の中心をなすべき旨が宜下され、相模国総社と定められました。場所も石神台より現在地へ遷座し、柳田大神に、一之宮寒川神社・二之宮川勾神社・三之宮比々多神社・四之宮前鳥神社・一国一社平塚八幡宮の御分霊が合祀され、六社の大神様を合わせ祀ることから「六所宮」となりました。
(六所神社ホームページより)

個人的に要するに、あっちこっち国司が行かないで済むようにした・・・
と、私は勝手に解釈w

崇神天皇甲申の歳(紀元前97)、出雲地方より移住した氏族がこの地域を「柳田郷」と名付け、彼らの祖神である櫛稲田姫命、素盞嗚尊、大己貴尊(大国主命)を守護神として、石神台、またの名を伊勢神台 (当鎮座地北西1kmの台地)にお祀りし、社殿を築き「柳田大神」と称しました。
(六所神社ホームページより)
櫛稲田姫命がお祀りされているので、湯津爪櫛(ゆつつまくし)御守りが
売られてました。
ご利益がありそうに見えた・・・私は女性から妖怪に変身中のつもりなので、今は要らないかな?

ご近所の方が気軽に遊びに来れる神社はとても好きです。
えぇ~っと・・・お参りしたいのですが、そこで話し込んじゃってます?
みたいな場面に遭遇すると、安心していられる場所がここには
あるんだなぁ~と感じて心地よい感じがします。

立派な石垣の上に鎮座するのが六所神社本殿です。

立派なしめ縄だと思っていたら案の定、県下最大級ですね。
出雲系のなごりかしら?なんて、勝手に妄想してしまいました。

ちょっと、パソコンの調子が悪く新しく購入したのはいいのだけど、
セッティングまでたどり着けず・・・遅くなりました。
神を困らすほどの「もぉ~助けて!!」ですw

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