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第2回目 めぐりあい

「まひろが母を失ってから6年の月日が流れた。
そしてこの夜、成人の儀式を迎えたのである」
裳着の儀式で着た衣装で登場した吉高百合子。
いえいえ、まひろですね。

母、ちやはを道兼に殺されたことを「病」とした父に対しての不信感が
残ったままの成人の儀式だったのではと思いますが、
まひろ「うわぁ~重・・・」
いと「姫様、裳をつけるとはそうゆうことなのですよ」
藤原宣孝「儀式ゆえ辛抱せよ。終わったらすぐ脱げばよい」
まひろ「人はなぜこんなにも儀式が好きなのでしょう」

佐々木蔵之介が演じる藤原宣孝はまひろが幼い頃から
見守っている、まひろの父藤原為時の同僚ですが、
世情を読みバランス感覚のよい印象を受けました。
また、まひろにも幼少期から影響を与えていた人物かもしれません。
まひろ「父上が禄を頂いている右大臣様の二君なんというお名前ですか?」
藤原宣孝「知らんなぁ」
まひろ「道兼ではないですか?」
藤原宣孝「右大臣様にはお子が大勢おられる故いちいち名前までは知らん
     それに右大臣家の二君の名が道兼であったなら、
     そなたはどうするつもりなんだ。
     父上にどうせよと言いたいのだ?」
まひろ「わかりませぬ」
藤原宣孝「わからぬのなら黙っておれ。これはわしの心からの忠告だ」
まひろとは、そのような話をした後に、
藤原為時との話の中では、道兼に殺された「ちやは殿の死因を病としたのは良い良賢だった」と伝えています。

子どもが育つ過程で、両親(この時代は乳母もいますが)以外の大人からも
影響を受けていきます
両親から与えられるた「当たり前」は社会でも通じると信じていたが、
身近な人に試してみたら「どうも、これは我が家だけのルールだったみたい」ということに気がつく過程が垣間見える場面でした
そうなると、子どもは「当たり前」のやり方はいくつもあり、
自分が受け入れやすいものを社会で使い、
受け入れることが嫌だけど我が家のルールは我が家で使うようになってきます。

例えば裳着を付けたまひろが御所では空気を読み「重い」なんて言葉に出さないと思うのですよ。
でも、頭の中で藤原宣孝が言った「終わったらすぐ脱げばよい」言葉が
頭をよぎるのではないでしょうか?

人の心は、少しづつ価値観や知識などを覚えていきながら思考を積み上げながら、その場にあった心の表現を変えていくものとなります。

しかし、幼い頃より身についた「我が家ルール」は無意識の中に
入っているので、気がつかないところで出ています
もちろん、全てが悪いことではなく生きていく中で必要なことが
多くあり、例えば「玄関で靴を履く、脱ぐ」「朝の挨拶はおはよう」
などなど・・・大事なこともあります

しかし、第1話にあったように父から言われた
「お前がおのこであったらよかったのにな」と言った言葉が強く
残っていたとするなら、女であることが「罪」であるように感じ、
無意識の中で「男のようにならなければ」ととらえるかもしれません

無意識の中で起きていることなので、気がつくのが難しいのですが、
人が何かした時に「イラっ」と感じた時に、何かにとらわれている
自分がいるかもしれないと気がつくだけでも良いのではないでしょうか?




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