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第3回 三河平定戦

写真は、お土産で頂いたおまんじゅうですw

吉良義昭が出てきた・・・
この方の遠い子孫に赤穂浪士に打ち取られた吉良義央がいます
こちらでも悲劇の退場かな?

さて、今回は於大の方が登場して今川家と手を切ることを
勧められました
家康は、とても困惑と絶望を感じたかと思います
幼少のころに別れた母といえど覚えてなくても母
人質になっていた時も於大の方からは「着物や菓子を送って下さった。
便りを添えてな・・・わしを思うお優しい言葉がつづられておった」
本人は過去を振り返りながら母親の思い出を語ってます

ちなみに、伝通院にある於大の方のお墓は大きかった・・・

さて、親子の対面に関しては様々なところで取り上げられているので、
私はちょっと違う角度からみたいと思います
一応、「どうする家康」を交流分析という心理学で分析するが趣旨で
こちらは書いているので原点を忘れないようにしたいと思います

駿府にいる妻子を思うがゆえに今川家を裏切ることが出来ず、
織田家と戦うことを選ぶ家康ですが、母於大の方に織田家に寝返ることを
強く勧められます
於大の方「主君たるもの家臣と国のためならば己の妻や子ごとき
     平気で打ち捨てなされ」
家康  「今すぐ出ていかれよ。出ていけ!」
強く反抗します

この時代の岡崎の状況を考えれば、於大の方の言い分は
間違っていないのではないかと思います
しかし、それを受け入れることが出来ない家康は反抗してしまいます

そこで、酒井忠次と石川数正が城下を歩くことを提案しました
酒井忠次「百姓はたくましゅうございますな。度重なる戦に駆り出され、
     親兄弟に死なれても実りの時になればこのように大はしゃぎ
     特に今年は格別に張り切って借り入れてございます。
     なにゆえかお分かりですか?
     今年は、今川様に搾り取られずにすむと思っているからです。
     我らの殿が岡崎に帰ってこられた。
     もう、今川の支配下ではない、これからはたらふく飯が食える」
家康  「今川から独り立ちしたなどわしは一言も申しておらん」
酒井忠次「私が兵や百姓どもにそう申し上げました」
家康  「左衛門(酒井忠次)・・・」
酒井忠次「今川様のために戦えと申しても兵が集まりぬ。
     それほどひもじい思いをしてきたのです。
     我らのために殿が三河一国をお切り取りくださる
     そう信ずるからこそ皆、槍を持ち戦に出張るのでござる
     誠に恐れおおいことながら、我ら三河衆は皆、
     今川を見捨ててございます」
家康  「やめろ・・・」
酒井忠次「殿のご心中を思えば左衛門も涙が出ます」

酒井忠次は、とてもゆっくりとしたテンポで現状を目で見てわかるように
城下の散歩を提案し、現状を見ているだけではわからないことを語りました
あと、私も田んぼの中を散歩するのが好きなので、
ちょっと自信がある憶測ですが、刈り入れの前の田んぼの特有の香りって、
何か懐かしい感じがするんですよね
これで「今、ここ」の視覚・聴覚・臭覚を感じてもらうことが
できています、そこから「百姓はたくましい」と百姓がいてくれるからこそ、今、現在の岡崎が成り立っている事実確認します
さらに、その百姓のモチベーションの感情が上がっている理由を伝えます
しかし、モチベーションが上がった感情を動かしたのは家康が、
今川から独り立ちして岡崎に入ったの知った百姓の考え方やモノのとらえ方に変化が起きて思考が変わったことが理由でした

人の心は「純真無垢な感情を持って生まれてくる」と交流分析を考えた
エリック・バーン博士は言っています
そこから、様々な経験を積みながらファイリングして思考が出来てきます
そこから「自分はこうしたいなぁ~」と思う感情が出てきて、
過去の経験から「こうすれば良かった覚えがある」とファイルを引っ張り出し、「今、ここでこのように行動しよう」と決断して行動を起こします

決断と言うと大きなことに感じるかもしれませんが、
そこまで深く考えずにとらえて頂きたいのです
例えば、仕事中に
「何か飲みたいなぁ~」と感じたとします
「でも、仕事中だからビールってわけにはいかないなっ」と考えます
「でも、気分転換も含めて何か飲みたい」と欲求が残ります
「今、ここにふさわしい飲み物はなんだっけ?」と考えて
「今、ここ」にふさわしくて、本当に飲みたいものではなく、
妥協できるものコーヒー?紅茶?水?を選ぶ決断をする
そのようなことがありませんか?
欲求があり、そのためにどうしたら良いかを考えて、行動を起こす
行動を起こすところまでは、人の心の成り立ちと同じ動きをしています

人はそれぞれ同じように育っても見たり感じたり受け取るものが違うので、欲求は同じでもやり方が違うことが多くあります
今回の家康と百姓の欲求は同じだと思うのです
「家族と一緒に居たい」「たらふくご飯が食べたい」
「住んでいる所を守りたい」
そのためにどうするのか?
そこは、家康と百姓では考える内容や求められることも違います
家康の欲求は許されるものではなく「平気で打ち捨てなされ」
となるのですよ
ストレスがたまりますね
感情・思考・行動がある程度、自分でコントロール出来ていることを
知っていると家康のようなストレスは受けないでしょうが、
案外、楽になれることもあります
ただし、せめて自分には正直になっていることが大事です
自分が自分にウソをつくクセをつけてしまうと、本当の自分が
わからなくなり苦しくなると思います   


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