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第48話 神の君(最終回)

とうとう、最終回となりました
1年間、続けられるか不安ではありましたが、読んでくださる方が
いてくださるだけで頑張ることができました。
本当にありがとうございました

さて、今回のどうする家康で老け顔メイクがあまりにも素晴らしく、
最後に出てきた阿茶の顔が違う人かと一瞬思うほどでした
また、話題にもなっている小栗旬演じる南光坊天海などわかりませんでした
変わらなかったのは、お市と淀殿だけかしら?
あっ、真田信繫もかな?w

どの回も交流分析から見た「どうする家康」を書いてきたつもりなのですが、全てを取り上げることもできずもどかしい思いをしましたが、
最終回も取り上げてみたいと思います

冒頭の家康と阿茶のやりとり
家康「わしに言いたいことがあれば今じゃぞ。これが最後かもしれん」
阿茶「(沈黙)ありません。わたくしは最後と思うておりませんので。
   あっ、一つだけ。
   よろしければあの話をお聞かせ願いとうございます」
家康「あの話?」
阿茶「鯉」
家康「鯉?」
阿茶「魚の鯉の話でございます」
家康「あぁ、あれは信康と五徳の・・・」
伏線回収がきたーと思ったのですが、引っ張りましたねw
さて、家康が「聞きたいことがあれば・・・これが最後かもしれん」
と投げかけられた阿茶は
沈黙ののちに「ありません。わたくしは最後と思うておりませんので。」と
答えています。
ここは、家康が「最後の覚悟で出陣する」と言葉の裏側で考えていたことを
阿茶が感じ取り「最後だとは思っていない」と答えたように思います。
しかし「聞いておきたいことあらば・・・」と投げかけてくれた家康の
思いも汲み取るように「魚の鯉」の話を聞きたいと伝えたのは、
家康の「本当はもう少し話をしていたい。出陣をしたくない」そのような
気持ちを汲み取ったように思えました。

交流分析ではやりとりの種類は3通りがあると言われています
①予想通りの答えが返ってくるやりとり
②予想に反した答えが返ってくるやりとり
③社交レベルだけでなく心理レベルでのやりとりがある
上記の3通りです。

①事例
A「おはようございます」
B「おはようございます」
②事例
A「おはようございます」
B「遅刻ですよ」
③事例ー1
A「おはようございます」
Aa(少し体調が悪いです)
B「あら、元気がないようだけど大丈夫?」
④事例ー2
A「おはようございます」
Aa(少し体調が悪いです)
B「あら、元気がないようだけど大丈夫?」
Bb(体調が悪いなら来なくて良いのに!)

心理レベルのやりとりは、
相手の心を推し量る作業がひと手間必要となります。
気心知れた相手ならば、良い方に推し量ることが出来ますが、
苦手な相手だったらどうでしょうか?
人は苦手な相手を対応しようと思うと、想像力が低下する傾向があります
また、人によっては意固地(反抗する)になる機能が上がってしまったり、
冷静に客観的に情を感じないようにしてしまう機能が上がることもあります
コミュニケーションを円滑にすすめるポイントは、
心理レベルのやりとりを汲んで欲しいと求めないこともポイントとなります。しかし、人それぞれ慣れ親しんだやりとりがクセになっていて、
自分の本音がわからず、やりとりをしてしまう人も少なからずいます。
だからこそ、シンプルに自分に目を向けることが必要となります。
交流分析は、自分を見つめるポイントや他者から自分を見るときのポイントを具体的に理論に基づいてお伝えすることで自分が納得した人生や
人間関係を豊かに過ごすための心理学です。

「どうする家康」では、書物で吾妻鏡そして源氏物語も出てきました。
去年から今年、そして来年に引き続くことが小栗旬演じる南光坊天海の
場面で出てきました。
人は人の中で歴史が紡がれたように、自分にも人との中で自分だけの歴史が刻まれていくことを改めて感じる平和な時代に感謝の1年でした。

本当に1年間、お付き合頂きありがとうございました


行った時は秋だった紀行(最終稿)
勝海舟の会でガイド付きで参加させて頂き、
世田谷城~代官屋敷に行ったので次に松陰神社へ
松陰神社は、吉田松陰を祀っている神社です。

実は生まれて初めて本物の橘に実がついているをみて感動してしまいました
参道も立派
吉田松陰像
本殿

本殿に向かって右側に行くと松下村塾があります。
こちらにある松下村塾は山口県萩の松陰神社境内に保存されている
松下村塾を模したものです。
私は山口の松下村塾に行ったことがないのですが、行ったことがある人は
「うん。新しいね」の一言でした。

松下村塾

次は、本殿に向かって左手に向かうと、鳥居があります。

こちらの鳥居は木戸孝允が建てたものです。

鳥居の先にあるのが、吉田松陰のお墓があります。

実はとても興味があったのですよ。世田谷城は彦根藩の所領だったのは知っていたのですが、彦根藩のところにわざわざ松陰神社を造ったの?と思っていたのですが、神社所在地一帯は江戸時代から長州毛利藩藩主毛利大膳大夫の別邸のあったところでした。
なぞが解けてよかったwww


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