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第41回 義盛、お前に罪はない

大河ドラマが始まったとたんに速報が流れるのって、
あまりいい感じがしないのは私だけかしら?
何かのトラウマかな?

トウ「和田の館から軍勢が東に向かいました」
双六をなぎ倒す義時・・・こちらの方が安心した
速報に感じてしまいましたw

さて、前回は政は義時が、武力が必要になったら和田義盛が。。。
そんな、話で決着がついたはずだったのですが、
ちょっとしたボタンの掛け違いが起きて和田の乱が始まりました
う~ん、実朝が双六に誘わなかったら良かったかも・・・?

八田知家の「おれにいい考えがある」に良い意味で期待したのですが、
違った・・・「おれの指を使え」にもビックリしてしまいました
セクシーに言わないで・・・w

さて、冒頭に巴とのえの対比的なやりとりがありました
義時とのえのやりとり
義時「まもなく敵が攻めてくる、どちらが良いか決めてくれ・
   私と一緒に御所に行き鎌倉殿ともに八幡宮に逃げるか、
   二階堂の館に戻ってそこで匿ってもらうか」
のえ「離れ離れは嫌です」
義時「敵の目当ては鎌倉殿だ。一緒にいるとかなり危険だが構わぬか」
のえ「(間髪入れずに)二階堂に戻ります」
義時、(うん・・・そうだよなぁ~と言った顔をして沈黙)

巴   「私だって、まだお役に立てるはず!」
和田義盛「巴御前が戦場に現れたらどうなる?手柄を立てようと
     躍起になった奴らに囲まれちまうぞっ!」
巴   「戦で死ねれば本望にございます」
和田義盛「それは俺が死んだ時に言え。俺は生きて帰る。
     その時にお前がいなかったら、おれ・・・困っちまうよ」

のえの判断は間違っていません
義時の子を守らなくてはなりません。
もちろん、自分の命もね

巴は、ドラマでは子どもがいる気配がありませんが
自分の命を義盛のために使いたいと申し出るのも間違っていません

ただ、どちらの方が日本人は、心を動かされるのでしょうか?
すこし、モヤっとしているところに、泰時の場面が出てきます
昼間っから飲んでるんだぁ~
お酒に逃げてるんだぁ~・・・ドラマですからね
そんな、やる気が起きない泰時に妻の初の行動は胸がスカッとしました
バケツにお水を汲んできて泰時にぶっかけたのです
泰時、びちょびちょ・・・
驚いた泰時が見た初の顔は「何か?」と言った顔でした

また、実朝と一緒にいる実衣は「今度こそ死ぬ」と言っていたり
政子は「結局は、あなたの思い通りになりましたね」と
義時に言う場面など、どの女性の気持ちにも共感できるセリフばかり

つまり、自分の心は一辺倒ではなく心コロコロ変わると言いますように、
その状況で過去の経験から導き出したした、
その時に適時・適応・適量な心の機能を使って、行動を起こします
体を動かすだけが行動ではなく、言葉も行動と考えます

言葉は、その人の性格を導き出します
それは、養育過程で身につけたものもありますが、
それでは上手くいかなかった経験も積み上げて無意識に再決断しながら、
行動を紡ぎ出していきます
ちょっとしたところからでも、良いも悪いも
その人の性格が見え隠れするものです
私も最近、口が滑って後悔してることがあります
ついつい本音が出てしまいました
人間修行が、まだまだと実感してしまいました

続々とお申込みありがとうございます!

■締め切り:11月3日(木)残席数名です

■タイトル:「ココロのあり方と心理ゲーム」(Zoom開催です)
■参加費:無料
■日時:11月12日(土)13:00~15:00
■お申し込みは下記からお願いします

ちょっと、旅行記
泰時の菩提寺である大船の常楽寺
その周辺にも切通しがあります(地図を見てたら見つけただけなのですが)
そこで、なぜ泰時の菩提寺が大船にあるのか?
何のための切通しなのか?そんなことを考えながらお散歩してきました

大船駅からバスもありますが、徒歩で20分程のところにある常楽寺
1237年(嘉禎3)三代執権北条泰時が義母の供養のために建てた粟船御堂がはじまり。常楽寺の寺名は、泰時没後、その法名をとってつけられた。

常楽寺山門

この雰囲気が大きな木の門より好きかな?

猿が寝そべった姿を載せる庚申塔


カエルにしか見えなかった・・・


妙観察智弥陀如来(みょうかんざっちみだにょらい)


仏殿の天井画は、狩野雪信の雲龍図

夜になると動き出したため、両目の視力を奪われたという。 
そのため、目には光がない。


北条泰時のお墓


木曾義高の塚

江戸時代に塚は少し動かし、今の場所になったそうです


長窪切通の入り口

鎌倉七口ではないので、とてもわかりずらいのでチャレンジされる方は、
ネットで情報を確認してから行かれることをお勧めします




4~5mある高さの切通しです
有名ではないがゆえに人がいません
その代わり「スズメバチ注意」の張り紙がありました

道は続いていたのですが、高野の切通にも行きたかったので、
ここで、一旦戻りました
高野の切通に行く途中には多門院と熊野神社があります




熊野神社から富士山がみえました

この熊野神社も含めて周辺は、後北条家との関係があるようなのですが、
今回は、パス
熊野神社脇から降りると右手側にトンネルがあるのですが、
「トンネルに入らずに横切る!」とネット情報があったので、
横切ってみると鋭角にトンネルの上に行く道がありました
情報に感謝です
高野の切通になります

入ってすぐに分かれ道になっていましたが、私有地ぽかったので行きませんでした




高野の切通を抜けると六石山にでるのですが、住宅地です
2つの切通は、それなりに道も広かったので往来も多かったでしょうし、
六石山に軍事を集めるためにも使えたのかしら?と妄想
ここで、ミスってしまいました
六国山から明月院に抜ける道があったを知らずに山を下りてしまいました
後日、行きます・・・と思う
趣味、迷子の私は下りてみたは良いけど、ここはどこ?状態
でも、白山神社の案内板を見つけたのでそちら方面に行こうとすると
下校途中の小学生に「おばちゃんどこ行くの?」と声をかけてもらったので
「白山神社」と答えると案内してくれました
多分、下校途中の大通り1本道にあるので、一緒に帰る途中にあっただけかもしれませんが、嬉しかったです

参道
白山神社本殿と大きな注連縄

白山神社の守護虫とされる大百足(おおむかで)を模した6メートルもの注連縄が作られ奉納されるそうです

子守神社


うっそうとしすぎて近づけなかった
醍醐塔と彫られているような・・・

白山神社は、元は建長2年(1191年)に源頼朝が創建した毘沙門堂で
参道の途中にある今泉寺が別邸だったそうです
そこそこ、暗くなってきたので大船駅に戻ろうと思い歩いた先に称名寺の
文字を発見


ちょっと疲れてきていてよく分からんけど、ここまできたから
陰陽の滝までは行ってみようと頑張ってしまったので、周囲を見る
余裕もなく・・・本殿にお参りするのを忘れてました




陰陽の滝

陰陽の滝をみて、元来た道を戻りバスに乗って大船駅に戻れました
周辺には散在ガ池(鎌倉湖)などあり、散策には良いところなのですが、
称名寺と白山神社はコースから外れるので、ちょっと不便かもしれませんが
回れなくはないかな?と思われますw



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