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第27話 宿命の命

まひろ、懐妊!
1話の中で何カ月も過ぎていくからせわしないはずなのだけど、
感じさせないのは脚本家の腕なのかしら?
まぁ~懐妊の経緯は、これは「大河ドラマ」ですから、
ちょっと夢と言いますか、想像力を駆り立てられていいじゃないですか
また、宣孝の発想にも驚いたといいますか・・・
宣孝「一緒になる時、お前は言った。私は不実な女であると。
   お互い様ゆえそれで良いとわしは答えた。
   それは、こうゆうことでもあったのだ」ってさぁ~ないでしょう
いやぁ~その発想は全くなかったわぁ~
脚本家さん、あっぱれ!です

さて、今回は一条天皇の皇子様も生まれました
そこに、母である詮子が一条天皇に祝いの言葉を伝えた場面です
詮子「いい加減に中宮に気をお使いになるのはおよしなさいませ」
一条天皇「そうゆう母上から逃れたくて、朕は中宮に救いを求め
     のめり込んでいったのです。全てはあなたのせいなのですよ!」
詮子「お待ちください。お上はそのように、
   この母を見ておられたのですか?」
一条天皇「はい」
詮子「私がどれだけ、どれだけ辛い思いで生きてきたか、私が・・・」
一条天皇「もう、お帰り下さいませ」
詮子「私は父の操り人形で政の道具でそれ故私は・・・」
一条天皇「朕も母上の操り人形でした。
   父上から愛でられなかった母上のなぐさめものでございました」
詮子「私はそのような・・・」

一条天皇が怒鳴ったことにびっくり!ですが、
怒鳴るほどの思いがあったのですよね

「人は誰もが考える能力を持っている」交流分析の哲学の一つです
人の子は、生まれてからすぐに自分で立つことも出来ず、
自分のことも何もできません
その何もできない期間は、親が手取り足取り面倒をみます
親は、それこそ自分の時間を削って時には感情を殺して
子どもの面倒をみます

そのうち、親は勘違いを始めます
「ある程度、親がしっかりと子どもの人生を考えてあげないと・・・」
優しさからくる思いやりのはずなのですが、
子どもは未熟でも子どもの考え方があり、子どもの個としての
生き方や人生があることを軽んじてしまうことがあります
親も悪気があるわけではないので、子どもも気持ちを察して我慢します
でも、いつかは親から離れて自分の力を試す時期がきます
そんな時に親の型にはめようとすればするほど、
子どもは自信を無くしたり、反発したくなります
どうかしら?
100%ではないけれど、精一杯子どものことを考えて育てた
だから「大丈夫」と見守ってあげることはできないでしょうか?
「人は誰もが考える能力を持っている」
未熟だと思っている子どもだって、考える能力はあるのです
見方を変えると、親も子も尊重し合える対等な関係になると思いませんか?
そこに気づけていたら詮子も「私は・・・」ばかり言わないで
良かったかもしれません
そんなことを考えながら詮子もある意味で被害者なのよね
そんなことを考えながら堪能いたしました


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