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第18話 真 三方ヶ原合戦

穏やかだったオープニングが勇ましく勢いを感じさせるようなものに
変わりましたね。
本田忠勝は、戦ではかすり傷を負ったことがなかったと言われていますが、
心の傷は大きなものだったのでしょう。
叔父である本田忠真は忠勝の気持ちを前から知っていたのでしょうね。
本田忠真「おめぇーの死に場所は、ここではないだろうが!」
本田忠勝「おれは、叔父上をおいてはいけぬ」
本田忠真「お前の夢は、主君を守って死ぬことだろうが!」
本田忠勝「あいつ、主君などと・・・」
本田忠真「好きなんじゃろうが!殿を守れ。お前の大好きな殿を・・・
     行け!平八郎。いけぇー!」
と、本田忠勝は叫びながら去っていきました。
「ただ、勝」と名づけられた、忠勝の悔しさがにじみ出ていました。
本田忠真は、逸話でも小山に旗を立てて一人で奮闘した話が残っているほどの勇猛果敢な人物でした。

そして、何よりの注目したいのは、夏目広次ですよね。
どうしても、家康が名前が覚えられなかった理由がわかったのです。
夏目広次は、家康が幼少期の頃に吉信と呼ばれていたのです。
今川に人質出されるはずの家康を織田家にとられた時に、
家康の父から許され名を変えることで許されました。
そして、一向一揆の時も裏切ったにもかかわらず、不問とすることを
家康から言い渡されるなど、
恩義を感じることが多かったのではないでしょうか?

しかし、それ以上に恩義を感じていたのは家康でした。
それは、まだ竹千代と呼ばれていた頃の幼い時の回想で
夏目広次「良いところにお隠れになりましたなぁ~若。怖いですか?」 
家康  「竹千代は、弱いのじゃ。」
夏目広次「弱いと言えるところが若の良いところである。
     素直に心を打ちあけ、人の話をお話を良き聴きになる。
     だから皆、若をお助けしたくなる。皆が助けてくれます。」

この、夏目広次(この時は吉信)の言葉は、家康が全てとは言いませんが、
態度と言葉が一致する行動をとるきっかけとなったのではないかと思います
また、まず「良いところにお隠れになりましたなぁ~」と良いとこ探しが
上手なところも家康は身につけたのではないかと感じました。

交流分析では「人生脚本」でその人の生き方のシナリオがあり、
そのシナリオを作るには、人とのストロークの質と量により、
「こうあるべきだ」「こうありたい」「こうゆうものだ」などと
決断しながら生きていると考えています。
今回は夏目広次の「素直に心を打ち明け、人の話を聴く」ことを
家康の中で強くシナリオに書き足されたのではないか?
そのように考えられる回でした。


鎌倉の安養院からの紀行の続きです。

八雲神社

鎌倉には、八雲神社が5つあるらしい。
西御門八雲神社
常磐八雲神社
扇ヶ谷八雲神社
上記3つは、行ったことない・・・w
山ノ内八雲神社は、鎌倉で最古の庚申塔と安倍晴明の石があります。
周辺には安倍晴明の何かも沢山あります。たくさん・・・かな?w
今回は、大町八雲神社です。
大町八雲神社の入り口から祇園山ハイキングコースに入りました。

大町八雲神社から入るとゴールは腹切りやぐらとなります。

見晴らし台からの景色
こうゆう道を歩くの好きw
竹の御所のお墓

ハイキングコースは、比企一族ゆかりの妙本寺を通るので、
竹の御所のお墓がみえます。
妙本寺には佐竹やぐらがあるのですが、当時ハイキングコースの通行が不可だったため、やぐらから祇園山を見上げることしかできなくて、
佐竹与義が上杉禅秀の乱で足利持氏に反旗をひるがえし、上杉憲直によって
佐竹屋敷が攻撃された。その時に裏山を超え比企ヶ谷に逃げ込み新釈迦堂で自害したと話があることは知っていたのですが、こんな山を逃げ込むって・・・と思ってました。

竹の御所のお墓の反対側

いや・・・これ、登れるわぁ~。逃げ込めますよw
やはり、足を運ばないとわからないことが多いものです。
とは言え、今回は妙本寺には降りずに腹切りやぐらまで進みます。

高塒腹切りやぐら

近くまでは行かれません。

東勝寺跡
右奥が腹切りやぐらになります
滑川

すぐそこには、滑川が流れ心地よい水の流れの音が聞こえました。
ハイキングコースの所要時間は、40分ぐらいでしたが、
ハイキングコースですから運動靴をおすすめします。
木の根っこが案外と厄介でした。


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