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3.Events during the first month from birth 誕生から1ヶ月の間の出来事

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 From my memory
 It was supposed to have disappeared,
 It happened almost 50 years ago.

 
 When I was in my mother's stomach
 I was decided to be adopted
 
 
 At the end of 1970
 It was born in Ogaki City, Gifu Prefecture.
 
 
 I was supposed to give birth at home
 There was no midwife in time
 By breaking the water first
 I suddenly decided to give birth at a nearby hospital.
 
 
 After giving birth, my mother bleeds a lot
 It seems that it was in a difficult situation.
 
 
 Two weeks after the new year
  from Tokyo
 The couple who will be my parents
 I came to Ogaki's house.
 
 
 Even if we say that each other's family is relatives
 It seems that this was the first time I met him.
 
 
 At this time, I
 Say goodbye to your real parents
 Hugged by my parents
 I took the Shinkansen to Tokyo.
 
 
 as a side note···
 Separated from real parents
 In spite of the
 I didn't cry at all
 It seems that he was quiet.
 
 
 Knowing this story
 I can't speak anything yet
 Even though I'm a baby
 I'm sure I knew I had to leave my mom
 
 
 Give up on the desire to be sweet to your mother,
 Lonely, sad, spicy,
 Put up with the feeling of wanting to cry,


 Bringing true spirit to the depths of your heart
 I was trapped,
 I found out that.

 
 I was a silent baby. 


What is Silent Baby?
 "Quiet baby" without crying

 In my case, there was no abuse or abandonment of childcare by my parents, but it seems that the influence at birth and the growing environment of my parents cast a deep shadow on my future life.

The header photo is
 It's been about 10 days since I was born,
 This is a picture of her being held by her mother.


 Around this time I
 What kind of feelings did you have?
 It's a little complicated ...

 
 next time
 4.  The beginning of life in Tokyo.
 
 
 Please read until the end today
 thank you very much.


スピリアルライフナビゲーター
佐藤 宏美です。
 
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どうもありがとうございます。

  
まとめ記事
 
前回の記事

もう私の記憶から
消えていた思われていた、
今から50年近く前の出来事です。

 
母のお腹の中にいた当時
養子に出されると決まった私は
 
 
1970年の年の暮れに
岐阜県大垣市にて誕生しました。
 
 
本当は自宅出産になるはずだったのですが
時期的に産婆さんがいなかったこと
先に破水をしたことで
急遽近くの病院で出産することになりました。
 
 
出産後、母は大量の出血をして
大変な状態になったそうです。
 
 
それから年が明けた2週間後 
 東京から
私の育ての両親となる夫婦が
大垣の家にやってきました。
 
 
お互いの家族は親戚と言っても
この時が初対面だったそうです。
 
 
この時、私は
実の両親と別れを告げ
育ての両親に抱っこされ
新幹線に乗って東京へと向かいました。
 
 
ちなみに・・・
実の両親と離れ離れになった
にも関わらず
私は全く泣かず、
大人しくしていたそうです。
 
 
この話を知り、
まだ何も話すことが出来ない
赤ちゃんなのに
きっと私は、お母さんから離れなければならないことが分かっていて
 
 
お母さんに甘えたい氣持ちを諦め、
寂しい、悲しい、辛い、
泣きたい氣持ちをぐっと我慢して、


本当の氣持ちを心の深い所に
閉じ込めてしまっていたのだ、
ということが分かりました。

 
私は 
サイレントベビーだったのです。

サイレントベイビーとは?
泣かない騒がない「静かな赤ちゃん」

私の場合は、親からの虐待や育児放棄は無かったのですが、やはり出生時の時の影響、育ての両親の成育環境が、後々の人生に深い影を落としていたようです。

 ヘッダー写真は、
私が産まれてから10日程経った、
母に抱っこされている時の写真です。


この頃の私は、
いったいどんな想いでいたのか、
ちょっと複雑です・・・。

 
次回は
4.東京での生活の始まり です。
 
 
今日も最後まで、お読み下さいまして
どうもありがとうございました。

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