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すべて食べたい|エンドウ豆のリゾット

エンドウ豆が普通に買える関西に越してきて、食べるたびに思うのは「鞘も食べたい」ということ。

だって、ものすごく生命感にあふれていて、色もきれいで、細胞もふっくらピチピチしていて、これを迷いもなく捨てられるってどういうこと?って思う。

先日、たまたま隣駅のこだわり八百屋「オガクロ」に立ち寄って、朝採りのエンドウ豆を買う。品種が違うのか、見たこともないくらい大きなエンドウ豆で、当然鞘もボリューミー。ああ、これを捨てるのはできないよ、と思った。

イタリアには「クチーナ・ポーヴェラ」という食の哲学がある。クチーナは料理法、ポーヴェラは貧しさ、乏しさ。直訳すると「貧しい料理」という感じだけれど、限られた食材で美味しいものをつくること、を意味する。

そんなイタリア人が、こんな美しいエンドウ豆の鞘を捨てるわけはないだろう、と思って、イタリア語で、エンドウ豆のレシピを検索したら、やっぱり彼らは使っていたよ、エンドウ豆の鞘。

鞘を鶏スープで1時間煮て、ブレンダーかけて、繊維をこしたスープで、炊いたリゾット。エンドウ豆が、全身全霊で、これでもかと畳み掛けてくる。こんな料理なら一品だけで十分。ひとりの夜の楽しみ。

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