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本当に必要なのは「熟議力」、今すぐ必要なのは合目的的判断

森会長辞任による後任選び。
 
手続きの透明性実現を望むにしても、議論という不慣れなコミュニケーションを乗り越えられるのかという問題が横たわっていて、かなりの時間を要するに違いありません。
ところが、残された時間は非常に少ない。開催するかしないかの判断のタイミングは、目前に迫っています。
 
組織委員会の機能不全なわけですから、ここはまず、東京都と政府(とJOC)がイニシアチブをとり、IOCと協議の上「やるのか、やらないのか」、「もしもやるなら、どのようにやるのか」の基本方針を大局的に考えて意思決定した上で、そのことに適任な会長候補を探すべきではないでしょうか。
 
「やめる」となれば、後ろ向きではあってもそのための強力な対応力と調整力とが不可欠で、体を張って手仕舞いをリードする力をもつ方が求められます。
そこに「女性を」とか「若い人を」という観点でエース級の候補者を投入したら、その方の未来を傷つけるだけで、合目的的な人選には見えません。
「やる」となっても、リーダーひとりでは覚束ない難問が山積です。周りを固める方々のフォロワーシップも試されます。
 
選考プロセスの透明性へと針が過度に触れると、紛糾している間に時間をロスします。
森さんのコメントがいみじくも示唆した通り、組織委員会は、「わきまえ」、議論せず、根回しし、不透明なプロセスでここまで来たのは明らかです。
リーダー、フォロワーともに、それを担った方々の多くが「男性」であったのかもしれませんが、男性でも透明な議論を求める人はたくさんいることを考えると、そういう人は排除され、同質の「わきまえ」をもった金太郎飴になったと想像しています。(←皮肉で言ってます、その①)
そういう日本を作ったひとりが森さんのようなリーダーだとは思いますが、何も彼ひとりの責任ではありません。
私だって、問題の存在を時に感じながらもスルーしてきたか、変えることができずに今に至っていると反省する必要があります。そこは認めざるをえません。(←私一人が背負いきれる問題でも何でもありませんが。)
 
会議がしゃんしゃんで終わるのは、その手前で膨大な根回しが行われた「成果」です。(←皮肉で言ってます、その②)
結論に至るプロセスが活発な議論を経ないことに、私たちは慣れてしまっています。
いや、侃々諤々の議論は経験が乏しいというのに近いかもしれません。企業の取締役会や株主総会などを見ていても感じます。
私たちが議論に不慣れであることは明らかです。
 
民主党政権で文部科学副大臣をつとめたスズカンこと鈴木寛さんは「熟議」を提唱していました。今日のように複雑な社会課題を解決するためには、人々が「熟議」を重ね、自発的行動を起こすことが重要という主張です。
今後は、この考え方が本当に重要だと思いますが、たちまちの決断が必要なこの数か月で、組織委員会やオリパラに関わる方々の「熟議力」が高まることは期待薄です。
そういうのは、こどもの時の教育から始めなければならない、中長期的な問題です。
誤解を恐れずに言えば、これから選ばれるリーダーが熟議を主導できたとしても、メンバー(フォロワー)側にその力がないことは、露見した組織委員会の執行や意思決定機関、もしかしたら事務局まで含めた体質からみて明らかというべきでしょう。
鶏が先か卵が先かという問題ですが、これについては、オリパラ組織委員会をケーススタディとして、あらゆる局面において、未来に向けて活かしていくべき課題です。ひとりひとりが「自分ごと」と考えて。
 
冒頭で、東京都と政府がイニシアチブをとり、大局的意思決定をした上で、適任な候補を探すべきだと書きました。
まずはそこからではないでしょうか。

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