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ヒストリー⑭始まりの日・2005年12月

政府方針まとまる


2005年は下半期に入っても、自殺対策をめぐって進展が続きました。

6月9日の参議院厚生労働委員会では、参議院議員の山本孝史さんが質問に立ち、尾辻秀久厚生労働大臣は「自殺対策に政府全体で取り組む」と決意を改めて語りました。

7月19日には、参議院厚生労働委員会が「自殺に関する総合対策の緊急かつ効果的な推進を求める決議」を全会一致で採択しました。

世界自殺予防デーの9月10日には、ライフリンクによる第3回シンポジウム「自殺対策のグランドデザインを考える」緊急フォーラムが開催され、全国の専門家ら約100人が集まり、対策を話し合いました。
このシンポジウムは、WHO(世界保健機関)が後援に入りました。設立されて間もないNPO法人の後援を、WHOが引き受けるのは極めて異例でした。

9月26日には政府の「自殺対策関係省庁連絡会議」が発足しました、省庁を横断する舞台ができたことで、12月には「自殺対策に関する政府方針」がまとまりました。

 官民それぞれの分野で、様々な取り組みが加速する中で迎えた年の瀬でした。

ところが、その立役者とも言うべき山本孝史さんに思いもかけない連絡が届きます。

血液検査でがんの発病がわかったのでした。肋骨の裏にある胸腺のがんでした。すでに肺と肝臓に転移しており、病状は末期と診断されました。そして「何もしなければ、余命は半年」と告知を受けました。

山本さんは、自殺対策とともにがん対策でも基本法をめざして活動をしていました。その自分が末期がんに侵されたことに、山本さんは運命を感じました。

「きょう一日、何ができるか、何をしなければならないか」。そう自らに問いかけながら、残りの人生は基本法の成立に賭けようと決意したのです。

すぐに自殺対策基本法の法案策定に着手しました。市民団体や専門家らの意見を取り入れながら、法案の草案は翌2006年2月にまとまることになります。
                                                      =続く 次回は、⑮2006年5月・6月編「山本議員のがん告白」です。

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