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ヒストリー②始まりの前に・2000年1月

自死遺児たちの突き刺さる言葉


大学生の自死遺児たちの勇気ある告白で、あしなが学生募金で自死遺族支援は始まりました。

しかし、あしなが育英会には心配なことがありました。支援活動によって、遺児たちが集まる「夏のつどい」には、自死遺児の参加が増えると見込まれます。

その時、遺児たちのどう接すればいいのか。

2000年1月、職員の一人が、JR佐賀駅前のトンカツ屋で3人の自殺遺児と会い、彼らに言いました。

「つどいに参加する自死遺族の後輩を傷付けてはいけない。後輩が来たら、どう対応したら良いか誰も分からない。まず遺児同士が会うことが大切だと思う」

大学生遺児が呼びかけ役になり、2月に、川崎市青少年の家で「第1回自死遺児ミーティング」が2泊3日で開かれました。

北海道から九州まで全国から11人の学生が参加し、あしなが育英会からは3人の職員が加わりました。

ミーティングが始まりました。

全員が自死遺児とわかっていても、参加者たちはなかなか自らの体験を語ることができませんでした。5分も10分も沈黙が続きました。

家族の中でさえ話題にもできず、周囲に知られないようにとびくびくしながら過ごしてきた遺児たち。長い沈黙は、その時間の重さを示していました。

しかし、少しずつ言葉が出てきました。

「小学3年生の冬休み部屋のドアを開けたら、父が首を吊って自殺していました。6歳の弟は1週間も寝込み、私は無数の黒い虫に襲われる夢に何度もうなされ…」
「僕のせいでお父さんは自殺したんだ!」

育英会から参加した3人は全員交通遺児で、親との死別を経験しています。これまで何百人もの交通遺児の自分史を聞いてきました。
しかし、これほど胸に突き刺さる言葉は初めてでした。
                                                   =続く   次回は、③2000年4月編「歴史を刻む冊子の誕生」です。


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