さようなら、これからもよろしく
今日は送別会だったのだけど、自分はこの「別れ」というものにたいして、格別に何かを感じるという人間ではなくて、まあ、ドライなやつと言われればそうなのだろうけど、なんでか自分でもふりかえってみた。「物理的な別れと物理的距離を超えたつながり」という話。
なんでこんなにドライなんだろう?と考えてまず思いついたのは自分のストレングスファインダーの結果。ぼくはストレングスファインダーで「運命思考」が高い。上位二番目。
このことがこの記事を書くヒントになった。例え、離別して疎遠になってもどこかでつながっている感覚がある、ということに気づいたのだ。その離別がポジティブかネガティブかは関係なく、だ。また会うべき理由があれば、またどこかで会うべくして会う、と思っている。
今後会うことがなくても、それは会うべき理由がただなかっただけ。つながりが途切れているわけではない。人生において離別は避けられないし、すべての関係を物理的に維持することもできない。だから、運命論的なつながりを信じる。この人知を超えた力が働いていることをどこかで信じている。
もちろん、これは非科学的な空想だし、頭の中お花畑野郎と思われても仕方ないかもしれない。でも、人知を超えた力があると思えることにはメリットもあって。それは、自分の無力さをある意味認めるというゆるさにあるのではないか、と。コントロールできないことがあるという諦観がある種のゆるさをもたらしてくれる。人生のゆとりをもたらしてくれている気がするのだ。
まあ、そんなこんなで、「物理的な別れと物理的距離を超えたつながり」を感じながら、新たな旅立ちを決めた仲間のこれからを真心をもって応援したいと思う。
さようなら、これからもよろしく。
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