日記 2022/08/08〜2022/08/14 島尾敏雄の戦争小説を読む

2022/08/08

このまま上田岳弘の他の小説を読み続けたい気持ちもあったが、一旦休んで他の小説を手に取った。島尾敏雄の短編集「その夏の今は/夢の中での日常」と、吉田修一の「国宝」。

積ん読の棚にあった島尾敏雄の本だったが、数週間前にふと呼ばれるようにして手に取って、それから机の隅の視界に入る位置にずっと置いていた。近いうちに読み始めたいと思ってのことだが、そうしてみても実際に読むのは数ヶ月先になるようなことはざらで、だからとりあえず置いたに過ぎないのだが、上田岳弘の本を読み終えて一息をついた昨日、この短編集が目に付いた。目をとらえて離さなかった。島尾敏雄はもう一冊、新潮文庫の「出発は遂に訪れず」も同様に机の上に置いていたが、収録されている短編は被っているものもある。新潮の方が文字が大きく読みやすいから、短編によっては新潮文庫で読むことになりそうだ。

広島に原爆が落とされたのが8月6日、そして長崎に原爆が落とされたのが8月9日。終戦の日が8月15日。

祖父は終戦の日に特攻隊として出撃する予定だった。
祖母は長崎で被爆した。

積ん読にしていたくらいだから島尾敏雄が書いたその戦争小説が祖父と同じような状況を書いたものであることを認識した上で購入したのだろうが、これまで終戦の日が近くなっても読もうと思ったことはなかった。第三の新人で読むことの多い作家は、庄野潤三と小島信夫である。今このタイミングで島尾敏雄のこの小説を手にしているのは、やはり本に呼ばれたのだとしか思えない。

読書家で、本棚には経済に関する本が多かったが純文学の本もたくさん並べていた祖父は、島尾敏雄のこの小説を読んだのだろうか。読んだとして、自らと同じような境遇を書いたこの小説に対してどのような感想を持っただろうか。祖父は戦時中に使ったと思った帽子を大切にしていて、火葬のときにはその帽子を入れたように記憶している。

今となっては祖父が島尾敏雄の小説を読んだのか、どのような感想を持ったのか知ることはできない。祖母に尋ねたところで、興味のないことだろうし、覚えてはいないだろう。

生前に尋ねておけば良かったと思わないこともないが、もっと長生きしていたところで読書の話などすることはあっただろうか。祖父は内孫である僕をとても可愛がってくれたが、僕からすると怖くて仕方がなかった。両親と話すような感じで祖父に話すなど考えられず、常に敬語で接していた。
一度祖父の家に泊まって酒を交わしたことがあったが、それがリラックスした状態で祖父と話した唯一の機会だったかもしれない。そのときには文学の話はせずに、経済の話ばかりをした。

祖父が終戦の当日に何を感じたのか、想像したいし、考え続けたい。同じ状況であっても考えることは違うという当たり前の前提を受け入れたとしても、島尾敏雄の小説を読むことは、祖父のことを考える大事な助けとなる。

祖父は小倉で人間魚雷の指揮官をしていたという。島尾敏雄は奄美大島の特攻隊の指揮官であった。歳は7,8歳ほど離れていたので交流したことはなかっただろうが、同窓生でもある島尾敏雄を祖父が知らなかったとは思えない。

祖父は絵を描き残した。決して上手とは言えない絵を。日記の類いや、文章を残していたとは聞いたことも見たこともない。どんな本を読んで、どんなことを感じたのか、気になる。本棚を見て想像するしかないのだけれど。

「国宝」には冒頭は長崎が舞台で(その後舞台が移るかは知らない)、とても懐かしい地名や方言が出てくる。これは夜中、寝る前に読んでいくつもりだ。

2022/08/09

夏季休暇前のため何かと忙しい1日。僕は夏季休暇を再来週に設定しているため、明日以降も普通に仕事ではある。

8月9日。長崎に原爆が落ちた日。

Yahoo!に下記記事が上がっていた。

当初は小倉に落とされる予定だったが、視界が悪かったために長崎へ落とされることになった。
その原爆で、祖母は長崎で被爆した。

しかし当初の予定だった小倉に落とされたとしても、小倉には人間魚雷としての特攻を控えていた祖父がいたわけで、祖父が被爆していたということになる。小倉に原爆が落とされていたら、祖父とそして祖母の運命は変わっていただろう。

人間魚雷としての出発を待っていた祖父は、祖母がいた長崎に原爆を落ちたことを聞いて何を思っただろうか。常に冷静であり冷酷だった祖父の顔が思い浮かぶ。あまり笑わない人だった。

島尾敏雄の小説を読みながら、祖父が当時どのようなことを考えていたのかを想像する。島尾敏雄の小説には特攻隊として出発するのを待つ感情の揺れ動きがリアルに描かれているが、それと似た境遇にいた祖父は、その待ちの状況に加えて祖母がいる街に原爆が落とされたことを知ったはずだ。島尾敏雄の小説を読んで、少しは祖父の気持ちに近づくことができたとも思ったが、原爆が落とされた日と特攻隊として出撃する日が1週間と空いていなかった祖父の状況を改めて考えると、やはり想像するのはとても難しい。

しかし経緯がどうであれ、長崎に原爆が落とされたことは許されるべきではなく、被爆3世としての立場から考え続ける必要があると思っている。被爆者から直接話を聞いた世代として、下の世代にも伝えていく必要がある。

小学校の頃、毎年この時期になると、祖父母に戦争のときのことを聞くように課題が出された。当時はどの小学校でもそうだったのだろうか。小学生ながら、戦争のことを聞くのは気が進まなかった。僕が尋ねたのはいつも母方の祖母だったが、語ってはくれながらも、あれだけ饒舌だった祖母が言葉少なく、訥々と語っていたのを思い出す。対して、普段はそこまで語らなかった母方の祖父は饒舌に、小学生の僕にはあまりにも過激な描写を用いて、時には写真を見せながらも語ってくれた。内容はほとんど記憶にないが、対照的な2人の態度が衝撃的だったことは覚えている。

2022/08/10

引き続き島尾敏雄の戦争小説を読む。今は「出発は遂に訪れず」を読んでいるが、その後は「その夏の今は」、そして「魚雷艇学生」までは読みたいと思っている。ただ、祖父との状況がかなり似通っているからか、読書後はかなり疲れてしまう。読書中もかなり揺さぶられてしまって、寝る前にもいつもは考えないようなことを考えている。

「出発は遂に訪れず」で、司令官から無条件降伏したことが告げられれた主人公が、指揮官としてその旨を隊員たちに伝える任務について思案するくだりがある。隊員によっては、それを伝えることで突撃を迫る者がいるかもしれない。激昂して襲いかかってくる者もいるかもしれない。そのことを覚悟した上で伝えなければいけない。

祖父も指揮官であったため、同じような立場で隊員たちに伝える必要があったのだと思うが、そういったことまでの覚悟が必要だとは今まで考えてみたことがなかった。

長崎の原爆、特攻隊としての出撃準備、指揮官としての隊員に降伏を告げる役割。たった1週間のあいだに、これだけのことがあり、祖父はそのとき何を思っていたことだろう。小説を読んでいてさえ心が揺さぶられ、動揺を覚えるが、当事者としての心境は僕の想像を遙か超えることである。

ずっとではないが、寝る前までそういったことを考え、布団に入ったら吉田修一の「国宝」を読む。この小説はただひたすら面白い。読みながらいつの間にかストンと寝落ちしているが、それでどれだけ救われているか。「国宝」ほどの引き込まれる小説がなかったら、考え続け、また不眠の症状が出てしまっていたかもしれない。

2022/08/11

Kindle本が期間限定で安くなっていて、ここ数日で何冊か購入した。Kindle本夏の読書祭りというのも開催されているので、あと数日以内に数冊は買う予定だ。

基本的には紙の本が欲しい。
電子書籍と紙では読んでいる感覚が違っていて、紙の本で育ってきたことも影響しているのだろうが、紙の本の方が入ってきやすいし読後も頭に残りやすい。電子書籍は残りがパーセントで表示されるから、分厚さで確かめる紙の本よりも、ページを消化している感覚が強い。それとポピュラーハイライト機能というのが本当にいらない。が、これは非表示にできることを最近知った。古本で他人がひいたハイライトや折り目や書き込みに対しては時に愛らしささえ感じるが、ハイライトにはウザさしか感じないのは電子書籍だからか。

紙の本は装丁という重要な要素もある。デザインと手触りには格別のものがある。最近購入した本だと、乗代雄介の「パパイヤ・ママイヤ」や滝口悠生の「水平線」の想定は素晴らしく、触っているだけで読みたくなる。そして本の匂い。

やはり紙の本だ。

とは書きながらも、電子書籍はやはり便利なことは言うまでもない。新しい本を購入してももはや置き場がどこにもなく、文句を言われるしかない紙の本の立場とは逆に、電子書籍は買っても一つも言われることはないし、そもそも気づかれることもない。それに今回のようにキャンペーンも定期的に開催されていて、溜まったポイント分で1冊か2冊を買うことができる。今回購入した島尾敏雄の「魚雷艇学生」もキャンペーン対象だった。
それに何より、寝る前に本を読まないと寝られないので、もはや電子書籍なしには生活することができないのだ。

紙の本を優先はするけれど、文庫本や新書であれば電子書籍でもいいと思っている。今のところは単行本に関してはいくら安くなっていても紙が欲しい。アナログレコードを買うようなものだから。だが、上巻が紙で下巻は電子書籍を買うこともたまにあるくらいには、いまでは積極的に電子書籍を利用している。旅行のときには、紙の本を持って行くのを忘れても、Kindleさえあれば何とかなる。数年前には考えられなかったことだ。これはCDやMDにも言えることだけれど。

2022/08/12

月1の通院の日。前回の通院の直後に、右肩などに終日ピクつきが起こったことを報告した。2週間ほどで治まったことを伝えると、特にさらなる検査は必要ないだろうとのことだった。持病の一環で発生したものなのか、それとは関係なく発生したのかは不明だった。医師もそこまで真剣には捉えていなかった。発生していた当時は結構悩まされたものだが、特に気にする必要はないのかもしれない。1ヶ月分の処方箋をもらって診察終了。

病院は2駅先でいつも歩いて行くのだが、今日はあいにくの雨だった。歩行方向から向かってくる雨だったので、傘は差していたが、下半身がかなり濡れてしまった。今年の梅雨は雨で不快になることはほとんどなかったが、久しぶりにがっつりと雨に濡れた。

30分くらいの距離だが、それくらいの時間だとラジオを聴きながら歩くのにちょうどいい。歩いているからか頭にも入ってきやすい。一時期ウォーキングをしていたが、暑さが少し和らいだらまた再開してもいいかもしれない。

帰宅後はずっと甲子園を見る。九州勢がかなり勝ち残っていて嬉しい。海星は向井君が粘りの投球で、守備が素晴らしかった。向井君はイケメンだけれど、面構えがいい。しかし加藤監督はだいぶ歳とったし、ずいぶんと痩せていたなぁ…。海星の次の対戦相手は近江か。注目投手と対戦することになるが、いい勝ち方をしたのでこの勢いのまま挑んでほしい。

2022/08/13

数ヶ月前にリリースされたMavis StaplesとLevon Helmのアルバム「Carry Me Home」がようやく届いた。リリースされることを知ってすぐに予約をしたが、予定日になっても届くことはなく、到着遅延の知らせを受けること数回、これまでの経験からすれば注文はキャンセルになるものだと思っていた。既に配信ではリリースされていて、いつでも聴くことができる状態にあったが、最初はレコードで聴きたいと思って、レコードが手に入らないとしてもキャンセルが確定するまでは聴くまいと決意し、数ヶ月越しに聴くことが叶ったというわけである。

録音は2011年にLevon Helm Studioで行われた。WoodstockのThe Midnight Rambleが開催されていたあの場所である。

Mavis Staplesのアルバムは近年のアルバムも聴いていたが、最初レコードをかけたとき、やけに声が低くなったと感じた。元々低いが、それにしても低い。ただ低いという形容では足りない、昔のブルーズマンのような歌声。それでも同じく2011年に僕が見たAlexis P Suterの歌声やOdettaも同じくらいに低いし、あり得ないこともないかと思っていた。
あとはいずれの曲もテンポがえらく遅い。だからと言って気になるほどではなく、むしろ最後のThe Weightに関してはテンポの遅さによって荘厳さが増しており、The Music From The PinkのときからMavis Staplesとも共演したThe Last Waltzを経て、Levon Helm Bandに至るまでの全てのThe Weightの音がそこに入っているように感じた。Levon Heml Bandが演奏していたThe Weightのバージョンとも違っていたけれど、感動して聴き入った。

ただ、アルバムを通して気になることがあった。アルバムのクレジットにはMavis Staples BandとLevon Helm Bandの名前が入っていたが、Levon Helm Bandのお馴染みのコーラスが全く聞こえないのだ。The Midnight Rambleでは2つのバンドが一緒になって演奏することはよくあったが、Amy HelmやTeresa Williamsも必ず演奏とコーラスに加わっていたし、このレコードで彼女たちの声が聞こえないというのはどう考えてもおかしい。
それにLevonの歌声も全く聞こえない。僕がWoodstockに行った3月の時点でLevonの喉の調子はあまり良くなかったようで、Levonは数曲した歌っていなかったが、その3ヶ月後に1コーラスすらも歌っていないというのは考えづらい。

ちょっとしたモヤモヤを感じて、そのあとApple MusicでMavis Staplesを検索した。改めてMavis Staplesのアルバムを聴きたくなったのだ。そして、「Carry Me Home」のときの動画が出てきた。観てみると、Mavisの歌声がレコードのもと全く違っていた。レコードほど低くない、僕が知っているMavis Staplesの歌声そのものである。それに、やはりAmy HelmもTeresa Williamsもコーラスに参加していた。

これはもしや、と思って、というかこのときにはほぼ確信していたのだが、LPを確認してみると45回転盤だった。どうりでAmyなどの声が聞こえないと思った。あれだけ待ったレコードを、僕は回転数を抑えて聴いてしまったのだ!

改めてThe Weightだけもう聴いてみると、とても元気なLevonの歌声が聴こえてきた。もちろんAmyもTeresaも歌っているし、Brian Mitchellのあの渋い歌声を聴くこともできる。

やってしまった、と思った。あれだけ待ちに待ったのに、本来とは別の回転数で聴いてしまった。あれだけLevon Helmを聴いてきて、そのことに気づかなかったのもショックだった。
しかし、最初に聴いた33回転盤のThe Weightは間違いなく良かったのだ。僕が現地で聴いたのも45回転盤の方だったのに、33回転盤ではThe Midnight Rambleのあの雰囲気をこれまでにないほど生々しく思い出したのだ。間違った聴き方だったとは言え、それが無駄だったとはどうして言えるだろうか。

45回転と知った以上は、今後33回転で聴くことは多分ないだろう。なんとも微妙な体験をしたものだが、33回転で間違って聴いたという点でも忘れられないレコードになった。笑い話ではあるけれど。

45回転で改めて聴いてみると、このアルバムは期待していた以上にずっと素晴らしいものだ。Ramble at the Rymanも晩年のLevonの最高のパフォーマンスを聴くことができる唯一無二のレコードだが、Carry Me HomeはThe Midnight Rambleの音を体験できるということだけでも最高で、何と言ってもMavisとLevonの共演なのである(最後まで33回転で聴いた度の口が言うか)。The Band、Levon Helm、The Staple Singers、Mavis Staplesをこれまで聴いたことのある人にとっては最高のレコードになるだろうし、初めて聴く人にとっても 素晴らしいレコードになることだろう。これを入口にして、Levonの音楽を聴く人が増えてくれれば嬉しい。

2022/08/14

近々、と言っても今年中くらいの感じで読む予定ではあったが、もともと島尾敏雄をこのタイミングで読むつもりはなかった。が、このタイミングで読んだが故に島尾敏雄の小説から抜けきれなくなってしまい、しばらくは島尾敏雄の小説を読み続けることになりそうだ。島尾敏雄の戦争小説を一通り読み終えたら、もしくは読み終える前から滝口悠生の新作「水平線」を併読するつもりだが、この小説も戦争が大きく関係するような内容のようで、本を読みながら引き続き祖父母のことを考え続けるだろう。

しかし、島尾敏雄の経歴はあまりにも祖父と似通っている。長崎高等商業学校に入学したことも、その後人間魚雷の特攻隊員となり指揮官となったことも祖父と同じである。歳は7歳から8歳ほど離れているから、長崎高等商業学校で交流があったことは考えにくいが、戦時の訓練所で一緒になっていたとしてもおかしくはない。祖父が海軍水雷学校に行ったのか、行ったとしてどのタイミングで行ったのかはわからない。たとえ島尾敏雄と一緒の時期に行っていたとして、そのような人間はたくさんいただろうし、島尾敏雄と祖父の間になんらかの交流があったことを意味するわけではないが、あったとしてもおかしくはないということが、小説を読むにあたってリアルさを付与し、これまで以上に深く祖父の当時の境遇を想像するのである。このような読書体験は今まであまりなかった。これまでにないほどに、祖父の戦争体験に思いを馳せている。

明日は終戦の日である。

8月は高校のときにアメリカに発った月でもあるので、この時期はアメリカでの生活の記憶が蘇るが、アメリカに行きたいことを祖父に告げに行ったとき、祖父はそれまでにないほど厳しく、強く僕の意思を確認してきたを今改めて思い出した。どのような内容で追求されたのかはあまり覚えていないが、アメリカに行って何をしたいのか、将来にそれをどう生かすつもりなのか、といったことを何度もしつこく尋ねられたのは記憶している。当時は祖父が人間魚雷として突撃する相手の国に行くことは頭になかったし、ただ行きたいというその思いだけで、祖父がなかなか言うことを聞いてくれないことにいらだちを覚えたものだった。祖父はそのとき戦時のことを話題にするでもなかったが、何か思うことはあっただろうか。しかし、戦後しばらくは通訳として生活していたことを考えると、戦時中のことはその後割り切っていたのか、なにくそで逆に相手になってやれという気持ちだったのか、どういう気持ちでその後の人生を歩んだのか今やもう確かめようはない。

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