日記 2021/07/04

2歳最後の日は、この1年一番行ったであろう通称(我が家内での通称ということだが)「ぞうさんパンダ公園」へ。
日光蕁麻疹を発症して以来、なかなか長時間外にいることが難しくなったため、僕はスーパーで買い物をして後で合流することに。

合流すると、何やら娘が落ち込んでいる。話を聞くと、その日友達ができて遊んでいたのだが、意図せず体が当たってその女の子を倒してしまったらしい。女の子は特に気にしていなかったようだが、そのことに娘がショックを受けてしまい、遊べなくなったということのようだ。
僕が合流してからも、女の子からは娘と遊ぼうと誘ってくれるのだが、娘はずっと落ち込んだままでそれに応答しようとしない。結局、娘は立ち直ることはなく女の子が家に帰る時間がやってきて、あまり遊ぶことはなかった。

コロナ禍で、時間帯によっては人が少ないぞうさんパンダ公園には何度も足を運んだが、2歳になってからは特に今回のように娘が落ち込んだり機嫌を損ねることも多かったように思う。この半年は特に、最初から最後までただ楽しく遊んだという日の方が少ない。毎回のように何かいざこざが起こる。

それは、言葉を覚え、自分の意思や感情を表すことができるようになったということが大いに関係しているのだと思う。

最初の緊急事態宣言が発令されたとき、僕は娘を家に閉じ込めてしまった。僕が閉じ込めている間も娘はただ家で楽しんでいたが、久しぶりに公園に遊びに行ったときに娘の感情が爆発した姿を見て、それまでの僕の判断は間違っていたことに気がついた。たしかに感染するのは恐れるべきことだし、感染しないためにはできる限り家にいる方がいいだろうが、娘の外で遊ぶ時間を奪う理由にはならない。家に閉じ込めることは、人間以外のものと接する機会を失ってしまうことになる。人間は、人間以外のものと触れる時間が必要なのだということを、そのときの娘の姿から学んだ。それからは(もちろん感染対策をしたうえで)積極的に外に連れて行くようになった。

それは娘が言葉を話し始めた時期とも重なっていて、外で見る様々なことに対して、娘は言葉で反応するようになっていた。外に連れて行く度に娘の表現は豊かになり、それに伴い表現できる感情の幅も大きくなっっていった。

そういえば、途中滑り台に滑らなくなった時期もあった。その頃は滑り台を怖いと言っていた。

ぞうさんパンダ公園の由来は、ぞうとパンダのロッキング遊具があるからだが、そのぞうやパンダの遊具を自分のものだと主張する時期もあった(今もたまに言っている)。他の子どもが乗っていると怒るのである。

遊び方にこだわりを見せるようにもなった。そのこだわり通りにならないと泣いたり怒ったりする。僕らにもそのこだわりに沿って遊ぶように要求してきた。

蟻をただ観察したときもあった。強い風を全身で浴びて、髪が風で揺れることが面白いのか爆笑していたこともあった。草を無心にむしっていたこともあった。大きい石を拾って触ったり投げたりして遊ぶこともあった。

2歳の時期はステイホームで娘にも不自由させたと申し訳なく思っているが、それでもできる限り公園へ遊びに行かせることができたのは良かったと思う。

この1年はステイホームで一緒に過ごす時間が多かったが、ステイホームが良かったのではなく、家にいることも公園に遊びに行ったことも含め、娘と一緒に過ごす時間が多かったということが良かった。実際に過ごした時間は少なくても、1年を振り返る中で、公園で遊んだ時間が持つ意味はとても大きい。

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