暴風の中で

昨夜は暴風の音でなかなか眠ることができなかった。それが関係していたのか、それとも昨日だけ暖かかったことに体が拒否反応を示したのか、深夜に久しぶりに腓返りで目覚めた。激痛だった。その後また眠るも今度はひどい耳鳴りで起きてしまった。またまた寝不足。

暴風は午前中まで続き、娘を保育園に送るまでの道中が心配だった。小雨が降っていたが、外を見ると傘をさしていない人の方が多く、レインコートで家を出ることにした。無事何事もなく送り届けることができたが、不思議だったのはこんな暴風の中でも娘が起きたときから終始ご機嫌だったこと。暴風がどうとか娘には関係ないことかもしれないが、普段はほとんど言葉を発することがない保育園への道中でさえもペチャクチャ話していていつもと少し違っていた。妻も少ししんどそう。昨日からの変な天気で、みんな少しおかしくなっている。

筒井康隆の『旅のラゴス』はえげつなく面白かった。物語としての面白さもそうだが、他の場所へテレポートする転移とか、他の人の心を読み取るとか、そういった超能力のようなものをヨガとつなぎ合わせて読んだとき、ヨガをするときに感じる心地よさだったり違和感だったりがイメージとして現前してきて、あぁずっとこんな本を読みたかったのだと思った。個人的な感覚ではあるけれど、2年くらい前に坂口恭平の『現実宿り』を読んだときの感じと似ていて、内容はあまり覚えていないが物語としても2つの本は似ているような気がする。『現実宿り』を読んだときにはどこか救われたように感じたが、『旅のラゴス』では先の希望を感じた。

ヨガをすることに対しては常に心地よさと違和感が同居していて、心地よさはヨガをすることとヨガ哲学の一部に対して、違和感はヨガ哲学のまた別の側面に対してのものだが、ヨガをしていく以上はどちらともずっと付き合っていくことになるものだと思う。違和感をなくしたいとは思わないし、違和感があることで(少なくとも今のところは)ヨガと距離を置こうとも思っていない。ただ、違和感、ひっかかりのようなものに関しては、それが何なのかこれからも考え続けていきたいし、いつかその違和感を言葉として出せればとも思っている。今回の『旅のラゴス』も『現実宿り』も、その違和感を考えることを深めてくれた。今年の最初からそんな本に出会えて良かった。

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