日記 2024/08/19〜2024/08/25 夏休み旅行

2024/08/19

 昨日のダンスイベントには僕は行けなかったのだけれど、娘は大きく進化を遂げていたようだ。というのは、笑顔で踊るというのをずっと課題としてやってきて、ダンスを始めてしばらくは無表情で踊ることも多かったのだが、人前で踊るのだから笑顔でというのが先生からずっと言われてきたことで、徐々にダンス中に笑顔を見せるようになってきたのが去年のどんたくさあたりから。で、今年のどんたくからは笑顔で踊れるようになってきて、先生からも表情が変わってきたと言われていたところだった。
 ところが昨日のダンスは笑顔というだけではなかった。ダンス中に驚いた顔を見せたり、口を膨らませてぷくーとした表情をしたり、とにかくいろんな表情をしていて、映像で見たとき僕は爆笑してしまった。
 
 NewJeansをはじめ色んなパフォーマンスを見て自ら取り入れたのだろうが、40年近くダンススタジオをやっている先生からも今日の娘の表情は末恐ろしさを感じると言われるほどで、褒められているのか呆れられているのかわからないが、いずれにしても無表情よりはいいはずで、娘はダンス中に表情をつけるということを習得したらしかった。これは生で観たかった。家で踊っても恥ずかしがってそんな表情は見せない。

 そんな娘の新しいダンスを映像で見た後に、福岡から唐津まで移動。そして唐津にある唐津第一ホテルリベールにチェックイン。虹の松原近くのホテルで、市街地からは少し距離があるが、車なので問題はない。近くにレストランが少なそうだったが、ホテル横にロッテリアがあったので、たまにはそんな夕食でもいいかとなり、ロッテリアのハンバーガーを食べた。
 部屋の目の前には松浦川、そして左手には唐津城が見えた。こぢんまりとしているが大浴場もあって、そして何と言っても部屋の中にマッサージチェアがあるのが最高だった。風呂上がりにマッサージチェアで疲れを取り、ゆっくり寝ることができた。
 朝はバイキングで唐津名物の食べ物がいくつかあるらしく、楽しみにしていた。お茶漬け、魚のコロッケ、イカシュウマイ、ざる豆腐、いずれも美味しく、朝からお腹いっぱいになった。

 部屋も温泉も朝食も全てが満足だったが、価格はリーズナブル。大満足だった。またこのホテルのためだけに唐津に来るのもありかもしれない。虹の松原も近いのだから、観光する場所もある。

 で、今日からはハウステンボス。

2024/08/20

 昨日の続き。
 
 昨日は10時半に唐津を出て11時15分頃にハウステンボスに当チェ区。11時半に母と弟と待ち合わせがあった。毎年の恒例としていることだが、ホテルオークラのバイキングでランチを食べることにしていたのだ。今年はハウステンボスに行く予定がなかったので、2人とのランチもできないかと思っていたが、急遽ハウステンボスが決まったことで今年もランチができることになった。去年までは姪や義妹も一緒にランチをしていたのだが、急遽のハウステンボス行きだったことと、平日だったため2人の都合がつかず、今回は弟だけになった。それでも弟を通じて近況を聞くことができたし、久しぶりに話をすることができてよかった。姪は今年高校受験。時間が経つのは本当に早いものだ。娘もどんどん大きくなっていくのだろう。その娘は、昨夜のダンスイベント出演からのホテルで興奮したらしく、23時まで寝られなかったからか、ハウステンボスへ向かう車内はずっと不機嫌だった。不機嫌のまま母や弟と会うのもなんだかなぁと思っていたら、母と会うやニコニコしていて機嫌が戻ったらしい。弟は娘の背が高くなったことに驚いていた。たしかにこの1年で背が高くなった。1時間半くらいランチを楽しみ、ハウステンボスへ入国。

 今回のハウステンボス旅行は本当にたまたまだったのだが、娘の仲の良い友だちも同じ今日にハウステンボスに行くとのことで、一緒にプールに行くことになっていた。というわけで入国後はプールへ直行。
 途中小雨が降りながらもプールに入っていればその程度の雨は関係がなく、2回の休憩を挟んで2時間ほど泳いだ。流れるプールで浅めではあるのだが、底に足が着くようになった娘は水に対する怖さが少し薄れてきたようで、積極的に水に顔をつけたり、足をバタバタさせて泳ごうとしていた。実際にはまだあまり泳げていないのだけれど、流れるプールだったこともあって前に進んで泳いだ感覚があったらしく、今日わたしは泳ぐことができるようになったのだと誇らしげにしていた。今年初めてのプールだったが、プールはいつ泳いでも楽しい。今年はまだ行ける機会はあるだろうか。サンシャインプールであれば9月まで営業しているのだが。
 しかしプールも2時間も泳ぐとかなり疲れてしまった。子どもの頃スイミング教室が終わった後の体のけだるさを思い出した。心地よい疲れではあるのだが、疲れは疲れだ。小雨のあとしばらく天候はもっていたのだが曇天で少し寒いくらいでもあった。

 それから毎年恒例のファンタジーフォレストへ。この遊び場は雰囲気がとてもいい。夢の中にいるような、その名の通りファンタジー感があって、一緒に遊ばなくてもそこにいるだけで気分がほっこりする。例年であれば僕も一緒に遊ぶのだけれど、今年は友だちがいたので娘は彼女たちト一緒になって遊び、僕は座って本を読んでいた。多和田葉子。一昨年ハウステンボスに来たときに多和田葉子を読んでいたのだが、多和田葉子と異国情緒のあるハウステンボスはとても相性がいいらしく、多和田葉子とハウステンボスの光景が僕の中では結びついている。今年も引き続き多和田葉子だが、今回は小説ではなく「言葉と歩く日記」。

 ファンタジーフォレストをあとにして、トリックアートなどいくつか一緒に楽しんだ後、18時頃に友だち家族とは別れた。別れる直前に行ったアトラクションが少しスリリングで、娘はそのアトラクションの間ずっと泣いていて、別れるときもまだ号泣していた。また今度笑顔で遊ぼうねと言って別れたのだが、それからしばらく泣いていて、おまけに外は大雨で、予定では夕食もハウステンボスでと思っていたのだけれど、行こうとしていた店が雨の影響で外のラウンジが使えなくなっていたことも影響してかすごい行列だったので、不機嫌な娘と一緒に待つ元気はないと判断し、実家に行って食べることにした。

 出国ゲートに向かっている間、入国した後にカラフルなくまちゃんのぬいぐるみが置いてある店あってそのぬいぐるみが欲しいのだと娘が言って、そんなくまちゃんのぬいぐるみなんてどこにもなかったと言ってもいやあったと言い張り、出国ゲートの近く、それは入国後通った道だったが、たしかにそこにくまの店があって、娘が言っていたカラフルなくまのぬいぐるみが置いてあった。それは店の中にあったのだが、外から除いて見られるか微妙な位置にあった。それを入国したときに娘は見たのか。しかし実際にあったわけで、まぁ仕方がない、ハウステンボスに来た記念だと思って買ってあげた。で、娘機嫌戻り、出国。

 実家に行き、中華。美味し。帰ったらもう良い時間で、すぐに風呂に入り、酒を少しだけ飲み、疲れがすごかったのですぐに就寝。

2024/08/21

 日記が1日ずれている。別に今日のことは今日書かなくてはならない決まりがあるわけでもない。が、ちょっとだけ気持ち悪さもある。

 昨日は朝ゆっくり起床、そして11時半に五番街のスシローへ行った。サーモンを中心に食べ、娘もお子様セットにいくつか追加して食べていた。スシローをあとにして、五番街のトイザらスへ。母におもちゃを買ってもらった。スタバでコーヒーを買って家へ持ち帰り、娘は買ってもらったおもちゃで遊んでしばらく過ごす。

 14時頃に祖父から母のもとへ電話がかかってきた。今日からリハビリに移るのだという。
 半年前くらいに腰骨を骨折し、それから手術と入院を繰り返している。96歳という高齢もあって完全な回復は見込めず、介護施設に移るための審査待ちの状況だ。頭はしっかりしているのだが、一人で何もできない状態で、それがもどかしいのか最近では看護師に怒鳴ることもあるのだという。最近はまたコロナ流行で直接会うことは難しいようだが、母も看護疲れというのか気疲れしている、という状況をこの数ヶ月聞いていた。
 受話器を持ちながら、母は耳が遠くなった祖父へ叫ぶようにして話していた。少し訛りが入ったそんな母を見るのは久しぶりのことだった。祖母が存命だった頃、母は祖父母と話すときだけ佐世保弁が出ていたが、祖母が亡くなってからは祖父とも佐世保弁が出ることはほとんどなくなった。祖父と話すときも標準語。だが、電話で話す母は、叫んでいるからか、普段より少し佐世保訛りが入っていた。そしてしばらく話したあと、僕に電話を替わるからと言って、電話を渡してきた。大声で話さないと伝わらないと言われたので、少し気合いを入れる。数年ぶりの会話だ。
 
 もしもし、と言うと、祖父は「ひさしぶりやねぇ、うれしかぁ」とデレデレ顔がすぐに思い浮かぶほどのデレデレ声で話し始めた。まるで小さい子どもに対して話すかのような話し方だが、祖父にとって僕はいつだって孫で子どもなのだ。子どもの頃、祖父母の家へ泊まりに行ったとき、祖父は酒に酔っ払ってはよくそのデレデレ顔で僕への愛を訴えてきたものだった。
 電話でも祖父は「ちっちゃか子どものころに、白い帽子をかぶって遊びにきた姿をいまでも思い出すとよぉ。なつかしかねぇ。ほんとうに好きやったと。いやぁ話せて嬉しかぁ」と僕への愛を訴え、そしてこっちが相づちを打つ暇もなくマシンガントークを続けた。娘のことにも話が及んだ。「ほんなこて可愛かねぇ、会って話ができるごとあと2年は生きられるように頑張ろうと思ってます。いやぁ楽しみかねぇ」と話ながら自らを奮い立たせているようでもあって、話しながら僕も頑張れ、と思う。僕と話し終えたあとに娘にも電話を替わり、娘は一言二言話していたが、ほとんど何も聞こえなかったらしい。今回は会話はできなかったが、祖父が回復してからまた会いに行かせたいと思った。コロナで会いづらい状況となっているようだが、回復する頃には規制が緩くなっているといい。
 
 祖父と久しぶりに話して、僕も胸がいっぱいになった。話すことができてよかった。子どもの頃に祖父母の家に泊まりに行ったことを思い出した。赤ら顔でご機嫌に話す祖父のことや、僕も弟も大好きだった祖母のことを思い出した。夏休みに祖父母の家に行くのは本当に楽しかった。話すまで祖父のことが心配だったが、話している限り頭はしっかりしているし、声色にも元気があって少し安心した。祖父に実際に会う日を楽しみにしたい。

 16時頃に家を出、18時前に福岡へ戻った。19時からスペイン語教室、体は疲れていて行くのは面倒だったが、休んだらもったいない。気合いで天神へ行ったが、実際にレッスンが始まると楽しかった。が、帰宅すると疲れがさらに押し寄せてきて何もできなくなった。昨日も早めに就寝。

2024/08/22

 朝から鼻水が止まらず。症状はいまのところ鼻水だけで、いつもの鼻炎のように思われるが、今はまだ判断がつかない。熱はないが、頭がぼーっとし、何をする気も起こらず食欲もない。夏バテの一種なのかもしれない。昨日、博多では2003年からの観測史上最も高い気温のタイ記録となったらしいが、朝はそんなでもなく、むしろ涼しく感じた。多少風があったから、というだけのことかもしれないが、昨日の朝くらいの気温であれば歩くのは本当に気持ちがいい。昼から一気に気温があがったのだろう。今日も暑かった。朝と夜は徐々に気温が下がっていくのかもしれないが、日中の気温がまだしばらくは下がらないだろう。台風も近づいている。怖い。

 頭が回らないから天気のことくらいしか書くことがない。なんだろうなんだろうなんだろう、自動筆記みたいに思ったことをそのまま書いていくか。
 そうだ、カルディに行ったらインカコーラがあったのだった、Discordでできたペルー人の友人に教えてもらったコーラ。初めて飲む。あとで写真に撮ってDiscordに載せよう。Discord上で日本のいろんなものを紹介しようと思って、最近ではよく写真を撮るようになった。写真を撮るとすれば娘の写真ばかりだったが、娘が映っていない写真を撮る機会が増えてきた。食事をするときは娘が入った写真と料理だけの写真をそれぞれ撮る。子どもの顔をDiscordに載せるわけにはいかない。この前は護国神社でお盆祭りの様子をDiscordにあげたところ、結構反応してくれた。Discordはいつも活発だ。スペイン語の先生は、お盆はメキシコの死者の日に似ていると言っていた。Día de Muertos。
 Discordでスペイン語で書くときには、一応頭の中でスペイン語を考えて、その後Google翻訳で添削してもらって載せることが多い。寝る前とか頭の働かないときには、Google翻訳に丸投げで、ほぉ、そうなるのかと思って、そのまま載っける。今はGoogle翻訳を使っていて、DeepLでもいいのだが、どうせならその履歴をデータベースで管理したいと、というか管理していなかいと訳して終わりになってしまう、もったいないというか復習とかに使うべきだろうと思って、その方法を考えている。ずっといいんだろうなぁと考えているのはNotion AIを活用すること。データベースはNotionで管理しているのだから、それも含めてNotionで管理するのがシンプルだと思う。ずっと使おう使おうと思ってきたNotion AIだが、そろそろ気味の出番か、Notion AI君。AIが言語学習と親和性が高いのは、ChatGPTでも体験済みだ。さらに学習した単語や文章をデータベースで管理し、復習しやすくすればそれは心強い。

2024/08/23

 今朝、遂に日傘デビューをした。
 
 ハウステンボスで既にデビューはさせていたのだけれど、ハウステンボスでは大雨に降られたこともあって、日傘よりも通常の傘としての役に立っていた。そもそも日傘は朝の通勤時のために買ったところが大きかったので、ようやく今日になって使えたということになる。今日まで使えなかったと言うわけではなかったのだけれど、日傘を持って行くことに慣れていないので、急いでいる朝だとつい忘れてしまうのだ。
 日傘を差した状態で歩くと、なるほど、たしかに体感温度が全く違うようであった。朝は単純に日光がまぶしいので、日傘を差すことで視界に入る日光を遮ることができて歩きやすくもなる。日傘を差したところで暑いことには変わりないし、涼しいとはもちろんならないが、体感温度は確実に違っている。日光を遮断することで体への負担も少なくなるだろう。毎日歩くので、日々の積み重なる体への負担が少しでも減れば、それけでも買った価値がある。今日から日傘をどんどん活用していきたい。

 昨日は1日中鼻水が止まらないというだけでなく、途中からは首が痛くなった。朝起きてすぐではないので寝違いではないはずなのに、寝違いのような痛さ。時間が経つうちにどんどん痛くなり、夜には座ることもしんどい状態となり、昨日は早めに布団に入った。こんなときには漫画を読もうと思ってジャンプ+のアプリで「怪獣8号」を読み始めたらどえらい面白さで一気読み。その後は米澤穂信の「黒牢城」を少し読んでいる内に寝ていた。
 と思ったら、夜中2時頃に娘の足が僕の頬を蹴った。殴られたのかと勘違いするほどの衝撃で起き、頬の痛さと同時にまた首の痛さが襲ってきた。娘に蹴られたのは今週だけで3回目だ。とはいえ、そのうちに1回はホテル、1回は実家で寝たときだったので仕方がないと思ってはいたが、家に帰ってきてまで蹴られるとは思っていなかった。寝たら僕の頬近くに足がセットされるようになっているのか。
 鼻水に首の痛みに殴打にとトホホな一日だ、しかしこんな状態で今日は会社に行けるのかと不安になりながらまた寝た。起きた瞬間は首の痛みはあったし左右上下にほとんど動かない状態ではあったが、歩けないほどではないと判断し、歩いて会社へ向かった。こんな日だったから日傘をデビューさせて少しでもテンションを上げるのは必要なことだった。仕事を終え、今のところは小康状態。決して良くはなっていないが、しばらくは様子見るしかない。

2024/08/24

 鼻水は1日で治まったが首の痛みはまだ治まらず。昨日よりは可動域が広がっているからマシにはなっているし、朝歩く分には問題ない。朝歩いていると、これまでに比べるとやはり暑さはマシになっている。日傘を差しているからというだけではないようだ。実際、今日は日差しが強くなかったのでほとんど日傘は差さなかった。一時的にマシになっているだけで、また暑さは戻ってくるのかもしれない。まだまだ油断はできない。日傘は常に鞄に入れる。台風が不穏な感じ。

 僕の鼻水は治まったが、娘が昨日から咳と鼻水が出てきた。どうやら旅行中に風邪をもらったらしい。熱はなく、基本は僕と同じく鼻水で、鼻水が喉に溜まって咳が出ているようだ。日中は問題ないが、寝ているときに咳き込んで起きてしまうのでしんどそう。夏休みもあと一週間。最後まで元気に遊ぶことができればいいのだが。

 発表会がいくつかあったりで忙しい夏休みではあったが、何度か旅行にも行けたし思い出になるようなことは少しはできただろうか。幼稚園生として最後の夏休みだ。夏休みが終わったら運動会。そして冬休みが終わるとすぐに卒園。これから先はあっという間に過ぎ去ってしまいそうだが、何とか時間を食い止めたい。1日1日を大切に過ごしていきたい。日々に忙殺され、同じような毎日になるのはやむを得ないのかもしれないが、立ち止まり、そこに存在する時間を確保したい。月並みな言い方だが、いまにありたい。

 今日は仕事だったので会話はほとんどできなかったが、仕事中に聴いていた音楽をDiscord上で共有し、一緒に音楽を聴いていた。今日一緒に聴いていた人はシティポップが好きだと言っていたが、YMO界隈など知らないミュージシャンも結構いるみたいで、そのあたりを中心に流した。向こうも作業中と言っていたので、あまりうるさくないような音楽を。コーネリアスなども。División Minúsculaというミュージシャンを教えてもらった。懐かしい感じのする音楽だった。ただ音楽を流し合うというそれだけのことだったが、それはそれで楽しかった。

2024/08/25

 娘の鼻水の症状はさらに酷くなり、昨夜は咳き込んで何度も起きていた。えずくほど咳き込むのでしんどそう。熱はほとんどないのでいつもの鼻風邪だとは思うが、明日耳鼻科の病院に連れて行ってもらう予定。
 娘の中で、具合が悪い、もしくはどこか痛いと言うとすぐに病院に行くように言うイメージが僕にはあるらしく、最近は僕に体調不良を隠すようになった。あまりよくない。2歳の頃、ノロウイルス感染で病院に行くのが遅れ、あと一歩遅ければ重症になりそうになったことがあったので、それからは早めに病院へという意識はたしかにあるが、実際のところは病院へ行くように促すことはほとんどないのだ。娘から病院に言われるのはイヤだと直接言われてからはさらに言わなくなったが、それでもまだ病院へすぐに行くように言うイメージがあるらしい。娘は一度あったことを執拗に覚えているので困る。何か印象に残ることがあると1年以上は覚えている。「まえにこんなことあったじゃん」と言うとき、それが3歳の頃だったりする。

 しかし心配性というのは思えば母譲りで、母からも何かあればすぐに病院に行くように言われていた。そのときの感情を覚えていないけれど、僕も病院が好きなわけではないので、病院に行くように言われるとあまり良い気持ちはしなかったはずだ。でも、同じ症状を訴えても祖母は「そがんことほっとけば治るけんよかさ。大丈夫たい。」と言ってくれて、その言葉にどれだけホッとしたことか。その言葉だけで不調も治るような気がしたものだ。心配性の母と楽天的な祖母。祖母の言葉は心強かったし、心配性の母の言葉にも時には嫌気が差したが、一方でその心配には嬉しさや温かさも感じていて、母の心配性も祖母の言葉もどっちも僕には心強いものだった。

 今日も娘は外に遊びに行くことができず、1日中家で過ごした。作品づくりをしたり、YouTubeを観たり。つまんない、と言うが仕方がない。昨日と今日は僕も仕事で、一緒に遊ぶこともできなかった。

 昼からはホークス戦を観ながら仕事。昨日に引き続きガッカリな結果となった。松本晴は前回すごいピッチングをしていたので期待していたのだが、今日は打ち込まれてしまった。しかし松本晴は去年と比べて球速がアップし、球の強さも全然違うように見える。今日のように打ち込まれることもあるだろうが、これから先期待できそうだ。
 2軍戦では前田悠伍先発。ビジターなので映像では観ることができないが、一球速報で見守りたい。今日の結果次第では1軍先発のチャンスもあるんじゃないか。楽しみ楽しみ。

 青葉市子の単独公演当選した。それは嬉しいことなのだけれど、角銅真実のライブ2公演行くのは難しくなったかもしれない。長崎に行くか、すると宿泊代が発生する。でも行くのであれば長崎のライブに行きたい。どの会場でやるか決まっていないので、それ次第か。お盆の時期から角銅真実の「Contact」は毎日聴いていて、すっかり沼に入り込んだ。

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