日記 2024/05/27〜2024/06/02 言葉の教室卒業、光石さん

2024/05/27

「ナルコス」を観終えた。
シーズン2でエスコバルが死んでから少し熱が冷め、後は惰性で観るかと思っていたら、シーズン3もめちゃくちゃ面白かった。特にホルヘの葛藤からの裏切りの兆しが出始めたあたりからぐっと面白くなり、それからは一気に観た。
ペーニャはずっと板挟みの状態で、シーズン2まではマーフィーもいたからか笑顔を見せていたように記憶しているが、シーズン3に入ってからはずっと渋い表情だった。心安らぐ瞬間が全くないような。しかしペーニャの顔はThe BandのRick Dankoのようで、僕はずっとRickがいると思いながら観ていて、シーズン3からはナレーション含めペーニャが主人公のような立ち位置だったので、半ば応援するような気持ちでずっと観ていた。

さて、「ナルコス」を観終えた今、次に何を観ようかと考えている。「La casa de papel」を観終えた後も、一旦はスピンオフの「ベルリン」を観たもののしっくりこずに、迷ったあげく「ナルコス」を観始めた経緯があった。「ナルコス」はスピンオフではなく、新たにメキシコ編があって内容も面白そうなので、そのまま観るのもよさそう。ただ、気分を変えたくもある。

基本的にはスペイン語に慣れるためにドラマを観ているので、条件としてはドラマにスペイン語が使われていること。幸い、Netflixにはたくさんのスペイン語ドラマがあって(それが理由でNetflixに再加入したのだ)、選択肢はいくらでもある。気になっているのは「Elite」で、学園もののミステリーものらしい。学園もののミステリーものといえば、舞城王太郎はじめ、小説では結構慣れ親しんでいるので抵抗はない、というのか、楽しめそうではある。パブロ・エスコバルからの学園ものとなるとギャップが凄そうでその抵抗感はあるけれど、そもそも気分を変えたいのだからギャップはあればあるほどいい。うーん、どうするか。「Elite」にするか、それとも「ナルコス」のメキシコ編を観るか。「ナルコス」を観たくはあるが、すぐには観ずに取っておきたい気持ちもある。なんなら「ナルコス」をもう一度観てもいいのだけれど。またエージェントペーニャa.k.a Rickの顔も観たいし。

まぁ、今のところはNetflixにどっぷりとハマっていて、スペイン語を聴きながらも上手いこと学習を進めることができている。スペイン語を勉強しない日はないし、スペイン語を耳にしない日もない。順調といえば順調ではあるが、しかし学習が順調かと言われるとそうではない。課題は単語だ。単語をもっと覚えないといけない。

2024/05/28

昨日、娘は言葉の教室を卒業した。

言葉の教室に通い始めたのは、昨年の9月。もともとは矯正までに1年くらいかかると言われていたのだけれど、順調に進み、昨日のテストをもって卒業ということになった。順調に進んだのは、先生の指導がよかったのはもちろんだが、娘自身がレッスンを楽しんでいたからだと思う。言葉の発音を矯正するためのものではあったけれど、レッスンは子どもが飽きないように工夫されていて、月曜ということもあって僕は一度しか見学する機会はなかったのだが、娘はとても楽しんでレッスンを受けていた。

娘が言葉の教室に通い始めたのは、か行とさ行の発音ができなかったからだった。年少までは発音ができなくても、娘が特段発達が遅れているということはなかったので様子を見ていたのだが、年中になっても改善されそうな気配がなかった。年少の頃からその傾向はあったのだが、年中に入ってから娘の発音をからかうような友だちや大人が出てくるようになって、娘もそのことを気にしているような素振りを見せ始めていた。極めつけは、呼びかけると反応して踊ったり動き回ったりする犬のおもちゃを僕の母に買ってもらっていたのだけれど、その犬の名前がよりもよって「ここ」で、呼びかけるには「ここ、踊って」などと必ず「ここ」と呼びかける必要があったのだが、娘はか行の発音ができず、「ここ」と呼びかけているつもりが「とと」となって反応してくれないことがあった。母に買ってもらったおもちゃだったので、母に気を使ってどうにか遊ぼうと娘は何度も挑戦していたのだが、「ここ」の呼びかけ以外には応じないとても厳格なおもちゃで諦めざるを得ず、母と別れてからは一切遊ばなくなった。娘は何でも話してくれるほうではあるが、嫌なことがあった場合には堪えて話さない場合もある。幼稚園でどれくらいからかわれているのかも僕や妻では把握できず、その「ここ」事件もあって、解決に向けて動き出さないといけないと考えた。

その数ヶ月前から言葉の教室のことはチェックしていたのだが、福岡でも発音矯正の教室はとても少ない。行こうと決断したそのときに、たまたま枠が空いていたのは幸運だった。

先生が初めて娘の発音を診てくれたときに言われたのは、さ行の発音は時間が解決してくれる可能性もあるが、か行に関しては今のうちに矯正をしなければ改善は難しいということだった。まずはか行の矯正から行われることになった。

か行の発音ができないのは舌の使い方が間違っていることが原因だった。はじめは正しい舌の使い方からレッスンが始まった。毎回宿題を出され、毎晩練習を重ね、か行の発音ができるようになるまで3ヶ月くらいかかったと思う。で、それを日常の生活まで落とし込むようになれたのが半年くらい。

そういえば、僕も中学の頃、歯医者に行った時に、舌の使い方に問題があると言われたことがあった。舌を収める場所がそもそも間違っている、と。これを今になっても完全には矯正できていないから、僕の歯は上手くかみ合っていなくて、下の歯が上の歯と全く同じ位置にある。そのときは舌の筋肉を鍛えろと言われたんだったか。とにかく、僕も舌に問題があって、娘の話を聞いたときに、そういうことも遺伝することもあるのかと考えたものだった。実際どうなのかはわからないけれど。

か行の矯正が終わってからさ行の矯正に移ったのだが、さ行はか行ほどの時間はかからなかった。1ヶ月ほどで発音できるようになっていたと思う。

言葉の教室では様々なレッスンが行われたが、レッスンを通して、娘の言葉に対する意識があがった。思えば、絵本を作るようになったのも、言葉の教室で学んだことの影響が大きいような気もする。

僕が見学したときには、先生が掲げたカードを見て、先生が当てられるようにそのカードの絵について描写する遊びや、先生と同じ絵を見て娘がその状況を説明する遊びなどがあった。いずれも言葉の発音というよりも、言葉を使って何かを説明したり、ストーリーテリングだったりで、それが楽しかったようだ。加えて、カードを見ることで、それまではあまり興味がなかったひらがなやカタカナの文字についても意識があがって、家でも自ら絵本を読むようになったり、ひらがなカタカナを覚えるように勉強をするようになった。

昨日、娘は先生と別れるとき、しんみりしてて、教室からで出たあともドアの前でしばらくたたずんで泣いていたらしい。娘はこの教室のために、幼稚園を午前中で切り上げていたのだけれど、幼稚園で午後まで過ごすよりも教室に行くことを楽しみにしていた。

しかし、発音ができるようになるということは、きっと他の発音が失われるということでもある。ダニエル・ヘラー=ローゼンの「エコラリアス」にもあったように、赤ん坊の頃と比べると少しずつ発音が失われていっていて、そしてその発音は日本語用にかなり限定されるようになっているはずだ。限定されているからこそ日本語でのコミュニケーションがスムーズになったわけだが、そこのことによって他の言語の発音がしにくくなったり、外国語に限らず、本来は発せられていたはずの音が発せられなくなっていく。それが成長していくということであって、全くネガティブなことでもないのだけれど。

2024/05/29

日によるが、首の痛みは徐々におさまってきて、昨日ようやくトレーニングを開始することができた。とはいえ、まだ首に負荷のかかるトレーニングは難しく、少し前から気になっていたビリーズブートキャンプをやってみることにした。

ビリーズブートキャンプは30分超え。リズミカルなトレーニングのイメージをもっていたが、実際にやってみると、リズム感のない僕でも問題なくできた。ただ、30分は長く、初めてということもあって、かなりしんどく感じた。僕がこれまでやってきたサーキット系のトレーニングだと、1セットあたり大体30秒から40秒で、画面上に終わりまでの時間が表示されるのだが、ビリーズブートキャンプはそれがない。全部で20個のトレーニングがあることはわかるのだが、それぞれに要する時間はまちまちで、かなり時間をかけるものもあれば、あっさり終わるものもある。

ビリーズブートキャンプはどちらかといえば下半身強化のものが多く、首を痛めていることを考えるとそれはとてもよかった。ビリーズブートキャンプは10分バージョンもあるので、今日は10分バージョンをやってみるか、なかやまきんに君の筋トレをするか。

ウォーキング30分だけでは運動量としては足りないので、1つトレーニングを加えるべく、トレーニングメニューを考えているところだ。5キロ痩せるプロジェクトを立てたので、タスクを立てて、1つ1つ消化していく形でやり遂げたい。1ヶ月1.5キロ減少であれあ、3ヶ月少しで達成できる見込みではあるのだけれど、どうなるか。

昔買ったコンポをLINE接続でパソコンに繋げて使っているのだが、今朝コンポの電源が入らないことに気がついた。昨夜までは問題なく使えていたのだが。15年くらい使ってきたコンポなので十分すぎるくらい持ってくれたとは思うが、困った。スピーカーに繋げないとMacのスピーカーを使うしかなくなる。Macのスピーカーも決して悪くはないが、スピーカーを通して聴くのとはやはり違う。スピーカー自体は問題ないので、このまま生かして使いたいのだが、さて、どうするか。パソコンとスピーカーを繋げるためのものを何かを買わないといけなくなってしまった。

2024/05/30

コンポは電源が入るようになった。今のところは問題はないが、もう古いしいつ壊れてもおかしくない。

ビリーズブートキャンプの筋肉痛は昨日よりさらに酷くなって、朝歩くときにはそう痛みを感じることはなかったのだけれど、仕事中に席を立って少し歩くときに痛みが走って歩きづらさを感じる。それだけ効いているということだろう。毎日ビリーズブートキャンプをすることは考えていないが、週に1回もしくは2回はビリーズブートキャンプで鍛えていきたい。

YouTubeの動画やnoteの記事などを参考に、Notionでタスク管理やハビットトラッカーを作成し、数日前から活用しているのだが、今のところはいい感じ運用できていて、その中でトレーニングメニューも管理している。

Notionでは読書記録のデータベースを管理しているだけで、そのデータベースも3年前に作ったものを使い続けているのだが、言うまでもなくその間にもNotionの機能はアップデートし続けていて、もっともそれは仕事でもNotionを使っているので分かってはいたのだけれど、プライベートでも使うようになって改めてそのアップデートされた機能の恩恵を受けている。その一つがリレーション機能で、データベースを関連付けることができるというものなのだが、現時点では完全に理解できているとは言えないものの、使いながらリレーション機能を駆使してタスク管理ができているように思う。タスク管理は続けなければ意味がないので、データベース自体も少しずつ変更を加えていきながら上手いこと運用していきたい。

娘は幼稚園の友だちと遊ぶといって、家には一度も帰ってこずに、妻が迎えにいったまま遊びに行ったのだが、18:21時点でまだ帰宅していない。外を見てもまだ明るく、過ごしやすい天候だから今も夢中で遊んでいるのかもしれない。いま遊んでいるのは去年まで同じクラスだった同学年の子で、娘と同じくらいダンスが好きなので、踊ったりごっこ遊びしたりで、遊び尽きないんだろうと思う。習い事で遊べないことも多いので、少し時間は遅くなってきつつはあるが、遊べるときに遊んでおいた方がいい。

さて、昨日の対ジャイアンツ戦は延長の上にサヨナラ負けと、見所のある投手戦ではあったが何とも疲労感の残る試合だった。昨日は泉が投げ、今日は高橋礼。ホークスゆかりの選手が対戦相手として出てくるのは嬉しい。まだヒットは出ていないが、ルーキーの廣瀬を観られたのもよかった。今日は勝って、なんとか勝ち越してほしい。交流戦に入っても日ハムが強く、ゲーム差が縮まってきている。

2024/05/31

生海の脳挫傷、三森の骨折、柳田の怪我。なんてこった。ホークスファンにとっては泣きっ面に蜂どころの話ではない。しかし生海は心配だなぁ。去年から大器の片鱗を見せていて期待していた。1年でも1年半でも2年でも、いくらでも待つので、また元気に野球する姿を見せてほしい。

娘の誕生日には東京に行く予定にしているが、昨日スケジュールを確認すると東京行きまで1ヶ月しかないことに驚いた。娘が6歳になるまで、5歳でいられるのもあと少しということだ。

なんとなくではあるが、数字だけを見ると5歳までは幼児ではあるが、6歳からは子どもという感じがする。赤ん坊の頃から続く乳幼児時代もあと1ヶ月で一区切りだと思うとなんとなく寂しい感じがする。

昨夜、妻は娘が1歳半の頃の動画をずっと観ていた。踊っている動画だった。1歳半の頃にはもう踊っていたのだなぁ。当時、King Gnuの「Teenage Forever」が少し話題になっていた時期で、僕はその曲にあわせてめちゃくちゃに踊っていたのだけれど、娘は僕の踊りを見ながらきゃっきゃと笑って歩きながら踊っていた。妻が言っていたことだけれど、娘は小さい頃からゲラゲラとよく笑っていた。文字通りゲラだった。今もゲラだ。ゲラだし、変顔をしてよく笑わせようとする。

一昨日だったか、昼過ぎに公園へ出かけると、娘の友達がおとうさんに抱っこされて遊具場に向かっていた。年中さんは早上がりの日だったのだ。娘より1学年下だが、僕はその姿を見て少し羨ましいと感じた。まだ2年も幼稚園に通い、幼稚園のあとに一緒に公園へ行ける、そのことが羨ましかった。こんな嫉妬心を覚えるなんて思いもしなかったが、それは紛れもない嫉妬心だった。でもあと数年後には、それこそ娘が僕らのもとを離れたら今の日々が恋しいと、羨ましいと思うのだろう。だから娘との日々を、家族として過ごせる日々を大事に過ごしていくしかない。と思いつつも、昨日のホークス戦は5点先制したあとに逆転されて不機嫌になってしまった。娘はその横で絵を描いていたのだけれど、少し気を使わせてしまったように思う。大事にしたい日々は何をしていたって過ぎていく。それでも大事にしたいと思い続けなければ、時は砂浜で掴んだ砂のように握った手から滑り落ちていくのだろうから、できるかぎり大切に扱うくらいしかできない。

2024/06/01

光石研さんのトークショー。

九州でトークショーをするのは福岡だけらしく、ブックスキューブリックの店内はいつも以上に超満員。僕は熱心な光石さんファンではないけれど、好きな俳優ではある。どの映画を観ても、どのドラマを観ても、いつも光石さんが出ているような気がするが、好きな映画やドラマに光石さんが出てくるとホッとする。どこにでも出ているからか、自然体だからか、その理由はわかっていなかった。しかし俳優としての光石さんを嫌いな人はほとんどいないだろう。でないと、こんなにも、どこででも光石さんを見ることはない。

定時19時ちょうどにトークショーは始まった。
僕は入口から一番遠い席に座っていたのだが、入口の方から歓声が徐々に移っていき、少しして光石さん登場、さすがにオーラがあるなぁと思っていたらそれは光石さんではなく、対談相手の深町さんだった。そう、深町さんもとても雰囲気のある人だった。光石さんはその後ろから、画面で見る通りの柔らかい表情で出てきた。おしゃれ。

福岡でのトークショーということもあって、光石さんの俳優人生を振り返りながらも、光石さんの地元である黒崎や福岡の話題もたっぷりで、1時間少しのトークショーはあっという間に終わった。

光石さんは自分にはオーラがないと言っていた。高倉健さんは作業着を着たとしても高倉健さんだけにしかないオーラが出るのに、自分は作業着に同化してしまうと。たしかに「夜明けのすべて」でも作業着が似合い過ぎるほど似合っていたし、作業着を着てでも滲み出る光石研オーラはないのかもしれない。深町さんはそれがいいのではないかと言っていたが、何度も言われてみ?と光石さんは少しうんざりした表情をしていた。でも、何度もいうように、作業着に同化するような光石さんだからこそ、どんな映画、ドラマを観ても光石さんは出ているのだろうし、だから名バイプレーヤーとして活躍されているのだろう。どんな役にも光石さんとしてではなく、違和感ないキャラクターそのものとして出るからこそ、僕はその姿を画面で観てホッとするのだ。

60歳を過ぎた今が一番忙しいというくらい仕事をしていて、かつ多趣味な光石さんは、人間としても生き生きとした方だった。トークショーの後に握手をすると、とてもきらきらとした表情をしていて、あぁ、「夜明けのすべて」の栗田さんがいると思った。「夜明けのすべて」の栗田さん好きだったなぁ。光石さんは僕の目をしっかりと見て、満面の笑みで、握手相手である僕を緊張させるようなことがないようにしているかのように接してくれた。握手のために手を差し出してくれたのは光石さんだった!オーラはないかもしれないが、表情は輝いていて、まさにイケおじで、トークショーを通じて僕はそんな光石さんの大ファンになった。これからは熱心なファンとして光石さんを追っかけていきたい。

2024/06/02

今日から佐世保。13時半に佐世保に着くように家を出た。日曜に佐世保に行くのは久しぶりで高速道路が混んでいるかもしれないと思ったので、唐津経由で行くことにしたが、結局そっちも混んでいた。唐津経由だと一車線しかないため、むしろそっちの方が混んでいたのかもしれない。まぁ急いで行く必要もないのでいいのだけれど、日曜も高速を使っていく方がストレスは少なそう、ということがわかった。車の中では、最初はVampire Weekendを聴いていたのだけれど、娘の退屈が限界に達しそうになっていたので、伊万里に入ったあたりからNew Jeansを聴いていた。シャッフルで聴いていて、最新シングルの「How Sweet」や「Bubble Gum」はもちろん最高なのだけれど、「NJMWX」の曲が改めてすごく良いなぁと思った。東京ドームのライブに行きたかったなぁ。最近はミンジちゃん推しである。

混んではいたが、New Jeansを聴きながらみんなで歌っていたらあっという間で、予定通りの13時半頃に佐世保に着いた。一旦車を置いて三ヶ町アーケードで昼飯を食べようということになった。僕はメキシカンが食べたかったが、娘の好みに合わないかもしれない、ということで蜂の屋にでも行こうかという話になってアーケードを四ヶ町方面に歩いていたところ、新しく台湾料理の店ができていたので入ってみることにした。魯肉飯を食す。あっさりとした味付けで美味。台湾ウーロン茶も飲めて大満足。佐世保はメキシカンの美味しい店もあるし、異国の料理は充実していきているかもしれない。

夕方からはトイザらスへ行き、娘はバッグを作るおもちゃを買ってもらっていた。夕食はスシロー。ブラックモンブランのパフェというのがあって食べてみたら美味しかった。

明日は、今月のコースに向けてゴルフの練習をして、それから友人の古着屋に行く予定。親と話すと自然と佐世保弁に戻るもので、少し酔いながら自分の話し方にたまに違和を覚えるときがある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?