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㉜友達は今も心の中に・・・

昨日、「address search」というアプリをスマホにインストールした。スマホの「連絡先」に登録してある各メールアドレスが「生きている」かどうかを判断してくれる…という機能のアプリ。

友達が教えてくれたGメールのアドレスをこのアプリで調べてみたら「生きている」という答えが返ってきた。

このアドレスは、一昨年僕の全個人情報を友達に伝えた時に、そのお返しとして彼が教えてくれたメールアドレスだった。

友達が短期間入院していた時に、このアドレス宛にメールを送信したことがある。その後退院して電話をくれた時に、彼はこのメールについては何も語らず、おそらくフィルターに掛かったか何かで届いていないのだ…と自分は思った。その時、自分はこのメールが届いているのかどうか、彼に何も確認などせずそのままにしてしまった。話題に出すべきだったのかもしれない。

友達のスマホの回線は もう今年の3月頃に解約されているが、このGメールのアドレスは、これからもずっとこのまま生き残っていくのだろうな…と思った。

友達からの mixiの「足あと」は先週の3日以来、一週間無い。「ゆう」というアカウントの方は、この一週間の間に何度かログインがある。

いま続いている友達からの「足あと」は、この「ゆう」というアカウントの人が付けているのは確実なことだが、どういう意図があってのものなのか、今も時々考えてしまう。

友達が今も生きている可能性というのは有り得ないことではないと思う。友達からの最後のメッセージは終わりを覚悟した上での別れの言葉だったけれど、彼の命はその後も続いた…ということはあっておかしくない筈だ。スマホの解約も、それを知った時には一つの可能性しか考えられなかったが、それでも次第に、今も生きている可能性はゼロではないと思うようになってきた。

「ゆう」というアカウントの存在を知ったのは、たまたま mixi の設定で「アクティビティ」の通知を on にしていたお陰だ (この設定のお陰で、友達が「ゆう」とマイミクになったことの通知があった。その直後にそのマイミク関係が解消されたことは何度も書いてきた通り) 。この「ゆう」という人は、こちらが気がついていることを知っているのか、知らないでいるのか…。

あの時アクティビティを on にしていなかったら、「ゆう」というアカウントの存在など分かろうはずもなく、友達からの「足あと」をずっと友達本人からのものである…と信じ続けていただろう。逆にこちらが気が付いていないとあちらが思っているのだとしたら、「足あと」を残す、その意図は何なのか…。こちらを気の毒に思っているのか、もしくは「兄は今も生きている」から、それを告げたくて「足あと」を付けているのか…。

このアカウントの主が「友達の弟である」…と仮定しての話だが、弟さんだとしたら、どのようにして友達のアカウントを引き継いだのだろう。友達が弟さんに頼んだのだろうか。それとも、弟さんがたまたま見つけてしまったのだろうか。

友達と僕との間で交わした mixi のDMの中に「ゲイ」という言葉が出てくるし、呟きでのやり取りの中でも「ゲイ」という言葉は出てきていた。友達は「秘密主義だ」と自分で言っていたし、家族にその “素性” について知られることは彼にとって何よりも恐ろしいことのように自分には感じられる。「ゲイであった」という痕跡の残るアカウントを弟さんに教えるということがあったのかどうか…(友達から電話で「SNS終活」の話を聞いた時に真っ先に頭に浮かんだのは、友達はアカウントを削除するのではないか…という恐れだった。幸い、そのようなことは今の所ない)。

友達が弟さんに、自分の素性を知られても良いと思うようになった…ということも全く有り得ないことではないのかもしれない。

前にも書いたと思うが、電話で彼は「生きている間にパートナーが出来なかったことが残念だ」という意味の話を僕にした。同じくパートナーの居ない自分に、その思いはよく解る。

友達が一昨年の再入院後も生きていた…と考えられる材料は、友達のTwitterアカウントの動向にもある。これも既に書いた通りだが、今年の1月末、友達のTwitterアカウントは最も縁が深い…と思われる6人だけを残して、他のアカウントのフォローを全てやめた。これなどは、自分には友達からのメッセージのようにしか思えない。


先週木曜は、風の強い日だった。友達の闘病中に mixi でやり取りをする中で、職場はそのやり取りの舞台ともなった。職場のガーデンの花の写真を送信したり、友達が教えてくれたお気に入りの歌を聴いたり。

今も昼休みは、人のあまり来ない そのガーデンの中で過ごすことがある。風が吹く中、友達が好きな『世界の約束』を久しぶりに聴いて、この風は友達かもしれない…そんなことも思った。

友達との思い出の音楽が何曲もある。友達の為に、自分で詩を書いて作ってもらった歌も二曲ある。それらも含めて大切な音楽を聴いた この風の日は、とても幸せな気持ちだった。

友達がくれた、この体験……何よりも忘れることのできない、濃密な時間。

今も、友達は僕の心の中に居る。

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