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スリランカで受けた視線

2019年4月21日に発生したスリランカの同時爆発テロでお亡くなりになった全ての方のご冥福をお祈りすると共に、怪我をされた方の一刻も早いご回復を祈念いたします。

スリランカは私たちにとって思い出深い国。8日間をかけて、現地で手配したドライバーさんと一緒に旅をした。豊かな自然と、たくさんの魅力の一方、長らく続いた内戦の影響がまだ残る国。

そんな国で、パッと見て障害がわかる旦那は、否応無く注目を浴びた。

特に仏寺に参拝に行くと、他の参拝者の人がジロジロと、それはもう遠慮なくジロジロと見てくる。チラッと見て目を逸らすどころの話ではなかった。仏寺は入り口で必ず靴を脱がなければいけないのだけれど、靴を脱ぐところから、歩くところまで、たくさんの視線が追ってくる。

珍しいのかな?

そう思って現地ドライバーさんに聞くと、珍しくはないという。長らく内戦があったので、内戦で負傷しその後障害が残った人は多いらしい。統計を調べたわけではないので実際のところはわからないけれど、ああ、道端で物乞いをしている包帯を巻いた方々は内戦の影響か、と思った。

ただ、障害のある人々は家に隠れるように住むことがほとんどで、特に先天性の障害を持っている人は、まともな仕事に就き、外を自由に出歩くことは極めて稀だという。障害に対する偏見があるのか、と思ったけれど、ドライバーさんはもごもごと口ごもった。どうやらことはそう単純ではないようだった。

仏教では輪廻転生という考え方がある。要は先天性の障害者は、過去に咎められるような行いをしたので、今世においては五体満足に生まれなかったのだ、と考えられるようだった。過去の行いが宜しくない人間が家族にいることは恥ずかしいことという認識が強く、だから家にかくまわれてしまうのだそうだ。他の仏教国も同じなのかはわからない(ネットを読む限りでは、宗派によっても考え方があるみたい)。
でもスリランカでは、どの地域の仏寺に行っても僧侶の方が近づいてきてはお祈りをしてくださって、「今後もブッダにきちんと祈りを捧げなさい、このまま続ければ来世は健やかに生まれることができるだろう」と言われた。

ちなみに障害のある人と付き合っている(当時はまだ結婚していなかった)私は、ものすごく徳の篤い人ということになるらしい。気になって調べてみたところ、利他行というそうだ。「あなたの来世にはきっと素晴らしいことがある」と絶賛され、信者さんが持参したお花や、佛具用の飾りをいただいた。

偏見をなくす、とか、好きだから付き合う、とか、そういう考え方とは全く次元の異なる、脈々と根付いた人生観。

カルチャーショックとはこのことか、と思った。

旦那は旅のあと、「スリランカのことはとても好きになったけれど、スリランカに産まれなくて良かった」としみじみと言った。それはそうだろう。スリランカに産まれたら、きっとずっと家の中か周りの狭い範囲で暮らし、働くことも許されず、それどころか高い確率で教育も受けさせてもらえないのだ。少なくとも日本に産まれたら、ハードルはあっても、できることなのに。

ドライバーさんはクリスチャンで、観光に関わり英語を話すぐらいだから西洋的な価値観にも馴染みがあるのだろう、あまりそのような考え方は取らないようで、「スリランカは変わらなければならない」「あなたたちのようなカップルが増えるべきだ」としきりに言っていた。

宗教に根付いた人生観が変わることは、おそらく可能性は低いだろう。でもそういう価値観に基づかない人もいるということを、目に見えて示せていたなら良いな、と思った。

ご関心を持っていただきありがとうございます。サポートは、旦那と同じ障害を持っている方々を支援する団体に寄付させていただきます。