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子どもと目的的ではない時間を過ごす、私にとっての必要性

我が家の子どもたちの平日は毎日、学校→学童→お迎えに行って帰宅、という流れ。たまーに「今日は青コースで帰ってきたい~」(青コース=自宅方面の登校班)と言うのだが、その時間に私も夫もいないのでできない。

そんな中、
①仕事が立て込んでいた
 (→土曜出勤が多くなり、平日休みを取る必要が出た)
②公認心理師試験の直前

という要素が重なり、先週の金曜日は休み&私の予定も入れない日、となった。勉強もはかどらず、体の疲れをただただとる一日となったのだが。

そこで新しい経験だったのは、子どもが帰ってくるのが待ち遠しい、楽しみ、という感覚である。一年生は4時間授業となっている日。給食が終わり、13時半ごろに帰ってきた。

帰ってきて、何をするわけでもなく、「先に宿題しなよ」と声をかけて宿題をした後は、子どもはテレビを見たりマンガを読んだり。私は勉強したり昼寝したり。のんびりだらだらした時間が、新鮮で楽しかった。目的的ではない時間。

考えてみると、子どもと「目的的ではない時間」を過ごすってあまりない。うちは3人子どもがいることもあり、ただ家でのんびりと遊ばせている、と、喧嘩になったりその他の予定が全くできなくなったり、喧嘩になったり、私がイライラしたりとなってしまう。なので、休みの日も、セカンドハウスに行くのでなければ、図書館に行く、喫茶店に行く、プールに行く、動物園に行く、などと予定を立てる。そこに誘導し、準備するストレスがどうしてもかかる。それは子ども側もそうだろう。

ひょんなことで現れた、目的的ではない平日の時間を味わった。金曜日、もしくは金曜日の午後は、仕事を休みにするスケジュールにして、ただ子どもの帰りを待つのも悪くないかな、と本気で思ってしまった。子どものためではなく、私のために、そんな時間が必要な気がしてきた。上の子が小3だから、これから放課後は友達と遊ぶようになっていき、だらだらと過ごしたり、買い物に行ったりということもあまりできなくなっていくだろうし。

余談ですが、7月17日の公認心理師試験は、惨敗。どうやらほかの人からしても今年は難易度が高く、私にすれば「勉強しなくても解けた問題」と「勉強しても解けなかった問題」がほとんどで、結局勉強しなくてよかったのでは…と残念でした。(負け惜しみ)
勘が冴えていれば合格の可能性もあるかな、とは思うので、いったん忘れて合格発表を待ちます。

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