幸せの条件がやっと腑に落ちた。
いつから言われていただろうか。
高校生、くらいであっただろうか。
「幸せの条件って何かわかる?」
と祖母に突然聞かれた。
私は迷うことなく「もちろん、たくさんのお金。」即答した。
「全然違うわよ」と言いながら
順番に教えてくれた。
まず第一に
・健康
そして
・今日やる仕事がある
それに続いて、
・コミュニケーションが取れる
・美しいと思える美意識
最後に
・ほどほどのお金
当時、私にとってはこの順位付けは疑問でしかなかった。
特に「今日やる仕事がある」ことがなんで幸せの条件なんだろうって不思議で仕方なかった。だって働かなくてお金があって、優雅に映画観たりご飯食べたりすることが幸せだと誰でも思うでしょ、と。
そう感じたのに、その尺度も自分が作った訳ではないような気もしていた。よく言う世間の答えに合わせていたようにも思える。
はからずも今、その意味がだんだんと納得できてきている。
私は完全休業。(もちろん手当てはいただいているので、無給ではないのが唯一の救いですが)
起きて朝食、軽い運動。
勉強してPCでyoutube、料理、ウクレレ、おしゃべり、ゲーム、ご飯、おふろ、読書、就寝。
待ち望んでいた幸せ暮らしのはずなのに、どんどん飽きてくる。
仕事をしていたときは愚痴をこぼしながら、上司とどうやったら今より仕事しやすくなるかな、とかもっと効率的にできる方法はないかなって少なからず考えていた。休日は大好きな友達と笑い合ったり、知らない体験をしたり、悩み相談をして気持ちを共有したり。
明日いやだなって思いながらも、夜寝るときに明日起きる理由があるだけで人は強く生きていけるんだろう。
祖母の言っていた、「今日やる仕事がある」とはもちろんお金が発生する仕事だけではなく目的・目標があってそれに近づくための一歩を行動することなんだと思う。(下手すると「とにかく働け~!」といった体育会系の文言になってしまうけど、)主体的に動くことが幸せなんだって、すごく当たり前だけど気が付かない。
自粛期間があったことで、以前よりも深く納得できた。
何もない、誰からも何を求められてない、自らも行動しない
そんな状況になりそうなら、少しでもワンアクションを起こしていく人になっていきたい。
養う家族もいない身分としては、本当に恵まれているというしかないのだけど、、
祖母が言いたかったことを胸に留めて、何かひとつだけでも自分で”仕事”と名付けて今日を生きていこう。
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