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かなしみはちからに

どうしようもないかなしみや苦しみに苛まれたとき、人はそれをどう受け止めているだろうか。かなしみや苦しみの原因は、人それぞれである。
私たち“人”という種は、不完全なまま産まれてくる。産まれたその日から、ひとりで生きてゆくことは出来ない。だからこそ、「命を育てる・育てられる」という双方向の行為によって、ひとりひとりのなかにある「人を思う気持ち」「慈しみや思いやりの心」が花開いてゆく。

与え・与えられ、受け取り合う。私たちは自分以外の人とのつながりを、経験を通して深めてゆく。
にもかかわらず、人と人は対立し、ぶつかり合い、時には激しく争う。それが苦しみや痛みの根源となる。悲劇的な対立のさなかにあっても、私たちはつながりを取り戻すことができるのだろうか。

『「わかりあえない」を越える』の著者で心理学者のマーシャル・ローゼンバーグは、40年以上にわたり、世界で最も紛争が多く貧困や暴力が蔓延している地域のなかで仲裁をし続け、つながりの修復を行ってきた。その経験から得た知恵を「非暴力コミュニケーション(略称NVC)」というメソッドに置き換えて、世界中で分かち合ってきた。彼は、私たちが毎日使う言葉に注目した。ふだん何気なく使う言葉を見直すことで、内なる平和の意識を培い、相手の人間性とつながることができるという。
「使う言葉を変える」とは具体的にはどういうことなのだろうか。マーシャルは、相手の人間性につながり、自然な分かち合いが可能になるつながりの質を育む、平和の言葉を提唱している。それを使えるようになるためには、まず次の2つの問いに意識を向けることを勧めている。

・今この瞬間に、私たちの内面で何が生き生きとしていますか。
・人生をよりすばらしいものにするために、何ができますか。

自らの内面に「今、何が生き生きとしているのか」を問うとき、それは同時に、私以外の他者に、そう「あなたの中で今、何が生き生きしているのですか」と好奇心をもって、相手の言葉に耳を傾けることでもある。また、相手の声を大切に受け止めようとするとき、それと同じくらいに自分の内面に生き生きとしている声も丁寧に扱う。「自分自身が大切にしていることを置き去りにしていないだろうか」と同時に問いかけるのだ。
そうやって「与え・受け取り」ながら、内なる平和に意識を向けて言葉を紡げるようになるために、マーシャルは、非暴力の道を歩む賢人たちから学んだことを体系化し、誰もが実践できる方法として、次の4つの要素にまとめた。

1 評価を交えずに、あるがままの出来事を見ること。
2 相手のふるまいや言葉にふれたとき、どんな気持ちになるのかを感じること。
3 すべての人に共通している普遍的な価値、大切なことは何かに意識を向けること。
4 人生をより良いものにするために相手に何をしてほしいのかをリクエストすること。

シンプルなようなのだが実践することは容易いことではないことは、マーシャル自身の体験が物語っている。それでも、思いやりのある与え合いと、思いやりのある貢献こそが人生の目的であるといい、あまりにも相手とつながることが難しいときには、「絶望のワーク」で自分の反応と向き合い、立ち直って自分自身とつながりなおすことから始める。自分自身を押し殺し、置き去りにすることではない。自分の大切にしている価値(ニーズ)につながり、相手の内面で息づいているものに耳を傾け、敬意をもってニーズにつながる努力を繰り返す。すると相手に対して抱いている敵のイメージが変容し、相手の人間らしさにつながれるとマーシャルは言う。敵のイメージをニーズに翻訳し、抗しがたい相手と対峙し、仲裁し続けるマーシャルの姿は時には痛々しくもあるが、対話をし続けようとする姿に感動すら覚える。

マーシャルは、対立や紛争、争いを根絶しようとするのではなく、むしろ対立や紛争は、個人や社会を成長させるものであると捉える。そして、対立が起きたときに私たちはそのこととどう向き合えば良いのかを、自らの経験を通して示唆している。
言葉を換えれば、暴力を社会から撲滅することはできない。だからこそ、悲劇的なやりとりが起きたときに被害者のみならず、加害者にも癒す力を向けられる術を私たちひとりひとりが身につける。それこそが真の平和への道となる。
たとえ、不条理なことで傷つくことがあっても、痛みを負うことがあっても、そしてどんな過酷な状況が起きようとも、必ずその傷は人の温かさ、温もりで癒される。さりげなく、手を差し伸べ合い、悲しみ合いながら生きることができる社会。
マーシャルは、「敵のイメージに押し込めることなく自分のニーズを表現できれば、平和的に対立を解決できる」という。
そこへのゆるぎない信頼が内面に芽生えたとき、真の平和が心のなかに宿る。そんな社会の安心感のなかで私は生きてゆきたい。

この本で書かれていることを実践することは容易いことではない。苦手な人はいつまで経っても苦手だ。それでも、いつの日か、私が私の大切にしている価値を手放すことなく、つながり続けることができたなら、苦手だったあの人とも「あなたと出会えたからこそ私の人生は豊かだった」と懐かしく思える日が来るかもしれない。今すぐに関係性を修復できなくても、NVCの在り方に意識を向けていられるのなら、平和への道を歩んでいることとは何ら矛盾はしないのだ。

自然災害に苦しんだ宮沢賢治は「かなしみはちからに、欲(ほ)りはいつくしみに、いかりは智慧にみちびかるべし」と書き残した。もし、マーシャルと宮沢賢治が出会ったら「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありません」という賢治に対し、マーシャルは「つくりたい未来の美しさに寄り添い続けましょう」と祝福を送るだろう。
争いを止めようとするのではなく、いのちの声にひたすら耳を傾ける。それこそが、人生や社会をほんとうに幸せに豊かにすることなのだ。本書でマーシャルは、そう語っている。



#「わかりあえない」を越える #NVC #マーシャル・ローゼンバーグ


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