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介護や福祉的支援のある暮らし   『身体だけじゃない               こころと暮らしの健康』

 その方(Bさん)は、当時70代の女性。旦那さんとの老老世帯です。癌のステージⅣで、総合病院に入院中です。既に、ご本人とご家族には担当医より余命半年の宣告がされました。同居する夫も同世代です。夫にも持病がありますが日常生活は一人で行えますし、家事も手伝ってくれます。

離れて暮らす未婚の一人息子さんは、IT会社にお勤めの働き盛りの40代。会社の許可を取り自宅で仕事ができるようにして、ご自分の家とご両親が住むご実家とを往復する二重生活でご両親を支えることを決断されました。

Bさんに認知機能障害はなく、表面的にはとてもお元気に観えます。とても余命宣告された癌患者さんにはみえませんでした。しかし、急に体力が落ちて、疲れやすくなり検査を受けて重度の癌の診断を受け治療を続けてきましたが、余命半年の宣告を受けることに・・・。

余命宣告はご家族3名で一緒に聴きました。病院で死を迎えるという選択肢もありましたがBさんは、夫と長年暮らし、息子さんを育て上げたご自宅で“生きる”ことを希望されました。退院時、かなりの体力低下がありましたが、ゆっくりであれば日常生活の全てが一人でできている状態での自宅復帰となりました。

病院の医療相談員の勧めがあり、息子さんは地元の地域包括支援センター(名古屋の場合はいきいき支援センター)で介護保険の申請をしました。介護保険の要介護認定調査は、初回の申請から結果が出るまでは一ヶ月以上の時間がかかります。Bさんは1人でも食事が摂れる状態でしたから、今すぐの介護保険利用は要らない状態での退院です。

この時点で、支援センターを介して在宅のケアマネジャー(私)に担当依頼の連絡が来ました。
Bさんの退院日に、電動ベッドを搬入しました。通常であれば介護保険での特殊寝台貸与(電動ベッドは)要介護2以上の判定が対象です。自力で手すりにつかまらず起き上がりができるBさんには例外給付の対象にもなりません。さらに、認知機能障害がないBさんは、要介護ではなく要支援1もしくは要支援2と判定される可能性が高いため、ケアマネジャー(私)の紹介の福祉用具貸与事業者から、介護保険は利用せず月額2000円程度の
自費のベッドを貸与することとしました。
併行してケアマネジャー(私)と総合病院の医療相談員との調整により、自宅に訪問してくれる在宅療養診療所のCクリニックと、Cクリニックと日頃から連携ができているD訪問看護事業所が調整され、退院後のフォローをお願いすることとして、無事に退院日を迎えました。

しかし、Bさんは退院して3日後から、急に食事が摂れなくなってしまいます。
必要な栄養を確保するため中心静脈栄養(IVH)の手術をする必要があり、急遽再入院と
なってしまいました。週明けの月曜日にIVHの手術が行われました。

中心静脈栄養(IVH)とは高カロリー輸液を行う点滴方法で、口から食事をとることが難しい方のために用いられます。1日最大2500kcal程度の栄養を投与できるため多くのエネルギーを投与できる反面、高トリグリセリド血症や血栓症などの注意点もあります。国際表的にはTPNと表記されることが多いです。

IVHの手術が無事に成功したことで、Bさんと家族は今すぐにでも自宅に戻りたいと希望されました・・・。急いだ理由は、この時点で余命が2ヶ月程まで、短くなってしまう可能
性があることを担当医師より告げられたからです。急遽2日後の退院が決定しました。

退院を翌日に控えて、あらたな動きがありました。元々、糖尿病の持病があったBさんは、点滴前に血糖値を計測し、点滴にインスリンを混ぜる必要があります。ここで、総合病院の担当医から診療情報提供を受けて準備していたCクリニックが、インスリンを混ぜる対応を実施していないということで、退院予定日の前日に、在宅での主治医が交代することになってしまったのです。
即日、新たに総合病院の紹介でEクリニックとF訪問看護が紹介されました。通常すぐに次が見つかることは稀です。Bさんは大変幸運でした。

そして、翌日、覚悟の退院となりました。
現在も、Bさんは、医療保険の訪問看護サービスを毎日利用されています。
ご利用されているサービスは、医療保険の訪問看護の他には、自費の電動ベッドの貸与だけですから、介護保険のケアマネジャーとしての業務はありません。
Bさんは、住み慣れた自宅でのご家族とご一緒に、やさしい時間を過ごされています。

ケアマネジャー(私)の母は50歳で癌に罹患し、全身に転移して57歳で亡くなりました。長男だった(私)は、病で妻を亡くす父親に「お父さんの姿を一番身近で観ている。カッコいいお父さんお姿を最期まで、お母さんに見せてやって欲しい」と父に伝えました。
その時の経験をBさんの息子さんと、たくさん話しました。

夫婦には、夫婦の間にしか解らないこともあります。親子にもいろいろな想いがあります。家族としての時間の遣いかたが、そのご家族毎にとっての“家族”の意味を創るのかもしれません。
いつか息子さんが、オムツや車椅子のお世話になる日が来たら、その時必ず、“家族で暮らした”この時間とお父さんお母さんの姿を想うでしょう。
今回、癌末期の退院時として事実だけを、綴りましたが、それぞれの段階で、BさんやBさんの夫や息子さんに、どのような不安や苦しみがあったでしょう。どうやって受け止め乗り越えたのでしょうか。
ケアマネジャー(私)の母は、生前「人間はみな弱いからこそ一所懸命に生きる」「この痛みは、なった人にしか判らん」と言っていました。

(社会福祉士・介護福祉士・介護支援専門員 N.K)

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