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何年ぶりかのサイクリング

正月休みはほとんどひとりで過ごしたと先日このnoteにも書いた。ひとりで過ごすにしても元気よく外に自転車で繰り出したりするこもできたのだろうけれど、そんな気にもなれず、淡々と過ぎてゆく日々だった。

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昨年の秋にうちの相方がハッチさんにアテンドされe-bikeを体験した。彼女にとってはスポーツバイクに乗るのは、たぶん、約6年ぶりくらいになると思われる。以前はロードバイクに乗っていた。いや、僕が無理やり乗せたのかもしれない。けれどもやはりというべきか「きつい」「こわい」「ひとり」など、多くの女性が買ったけれど乗り越えられない「ロードバイクあるある」のような理由で、結局乗らなくなってしまったし、僕自身がそうした気持ちをきちんとケアできていたかといえば、甚だ疑問でしかない。

そんな過去の経験の中で、先日の親しい友人にアテンドしてもらって久しぶりに乗る自転車はとても楽しかったらしい。特にロードバイクでなく、いわゆるクロスバイクやMTBのような乗り心地のバイク。そんな安定感やのんびり自分の速度で楽しめる感じがとても良かったらしい。特にe-bikeでは坂道の辛さもないので、余計に楽しかったようだ。

そう、やはりみんな(特に女性は)自転車が嫌いや、楽しくなくてやめるのではなく、それ以外の理由がとにかくきつい(ハードルが高い)のだ。

彼女は「e-bikeいいな~」と言ったものの、しかしやはりいくら安くなってきたとはいえe-bikeはとても高価であり、一般のエンドユーザーがポンと買えるものではない。またその重量もネックで、どこかに置いてあって、レンタルバイクのように、自分が身ひとつでそこに行き、さらりと乗って、返して、ができればいいが、例えば自宅から車に積んでどこかにいったり、自宅に管理して出し入れを女性自身で行うにはかなり厳しい。

しかし、何に乗るのかは別にして、彼女のなかで「自転車、やっぱり楽しいな」という感覚が先日のe-bike体験で蘇ったらしい。確かにそれはそうだろう、毎週のように自転車会場でブースに立ちそれを楽しむ人達に囲まれ、きつさも楽しさもかなり深いところで見ているこの数年があって、その中で自分にとって「自転車=(自分が)乗れない、乗るものではない」という過去の経験に引きずられているのも酷な話だ。そんな中で「やっぱり自転車に乗りたい」ということになった時に出会ったのがこの自転車だった。

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「JAMIS(ジェイミス)/SEQUEL(セクエル)」という新しいコンセプトのバイク。語弊を恐れず簡単に言えばMTBのようなクロスバイクだ。メーカーの言葉を借りれば以下のようなことらしい。

SEQUEL
Urban / Adventure
街中のアドベンチャーをするならSEQUEL(セクエル)と走りたい。車道の段差、悪路、砂利道、サイクリングロード。あらゆる地形を650×47Cのタイヤは走り抜けてくれる。リラックスしたフラットバーは日常では気付かない風景を見せてくれる。REYNOLDS520スチールにスルーアクスルのフレームは適正な剛性を持つ。キャリアや泥除け、バイクパッキングに適したダボも標準装備されており、街を飛び出しロングツーリングやアドベンチャーライドにも対応する。日常からアドベンチャーまで懐の深いバイクだ。

「このバイクはどう?」と勧めた時の反応はまさに「これ!こういうやつ!」というものであり、快適で安定感のある乗車姿勢、太いタイヤ、ディスクブレーキ、などロードバイク体験からくる「きつい」「こわい」のまさに対局を感じさせる仕様。かと言ってMTBほど専門分野でもなさそうな気配。決まってしまえば話は速く、スポーツバイクとしてはお手頃な値段もあり、このバイクを年末に納車してもらった。実際に購入したのは自転車本体とヘルメットの2点のみ。そして今日、少し時間が出来たので、何年かぶりで二人でサイクリングを一緒に楽しむということになった。二人で一緒に乗るはいつ以来だろう。

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最初に書いてしまえはとにかく「最高!」だったらしい。距離は自宅を出てぐるっと周回する約15kmほど、平均時速も15kmほどだ。格好もいわゆるレーパン履いて、ぴたっと、シュッとしたサイクリングの格好でなく、動きやすい普段着にジーンズ、ヘルメット、グローブにスニーカー、そんなラフで日常の姿だ。

コースも近場をふらふら、ゆるゆると。平坦基調なコース、アスファルトを少し登ってグラベル(未舗装路)、ダブルトラックの農道を下り基調で走るようなレイアウトを何本かつなぐようなコース。川沿いの未舗装路を走れば「ごとごとや芝生のふかふかが楽しい」とか「怖くないね」「気持ちいい」「楽しいね」そんなことをずっと言っていた。

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「次はどこ行けるかのか楽しみだな」一度のジュース休憩をはさみ、約一時間のライドの終わりにはそんなことを言っていた。速く走ること、競うこと、スリルやテクニックを楽しむこと、メカに詳しくなること、もちろんそれらも自転車の魅力だし、多分趣味としてのスポーツバイクの大多数の目的はそうしたことに集約されていくと思うし、自分にとって一人で楽しむならそうしたことがほとんどを占める。けれども彼女の反応を見ていると、今日感じた楽しさはあくまで日常の延長線であり、ちょっとした未舗装路のガタゴトや自転車で風をきるというのはあくまで日常の中の小さな非日常=楽しみということなのだと思えた。

そんな中でかわされる会話や、時間を共有できることがまさにコミュニケーションツールたる所以だし、自転車とは本来そうした気軽な移動を楽しんだり人と人や時間と時間をつなぐ生活の中にあるパートナーであるように思えた。

そのツールがもたらす満足度は、例えば今日、彼女にとっては、真っ直ぐ恐れずに言えば「こんな程度(15km/アベレージ15km/ph)でじゅうぶん」なのだ。うまいも下手も、速いも遅いもなく、自転車に乗ったひとが、その人の観点で「安全に」「楽しく」「また乗りたい」そう言ってもらえるように、どうしてこれまではそんなふうに手を伸ばせなかったのか。速く走るにせよ、快適性や楽しさを追求するにせよ、それを決めるのは誰でもなく、体験した本人でしかないし、なによりそうした「楽しかったね」の隣に自転車がある、自転車のある暮らしを楽しむ人達が増えたり、一度やめてしまったけれど「あーあ、残念だったな」とどこか心の片隅で思う人達が、もう一度自転車に出会い、自分にあったスタンスで楽しめるように、そんなことを紡いでいくのが、もし自分が楽しいと感じる自転車に貢献できるとすれば、いまの自分にできる役割なのかとも思う、そんな数年ぶりに一緒にサイクリングする中で感じたとても新鮮で貴重な体験だった。

「楽しかったからまた走りたい」そんなシンプルなリクエストが最高である。

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