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早く帰っておいで

母の命日イブは、新宿の映画館で「ウルトラセブン」を観た。「シン・ウルトラマン」の影響とか思ってたら、セブンは誕生55周年なんだそうだ。

1960年代の雰囲気ってなんだか異質だ。50年代の映画を観ているといまにつながる雰囲気を感じ取れるんだけど、60年代は異様にオシャレに見える。

家のインテリア、車、いまでいうクラブみたいな遊び場。これらが今につながる要素が見えない。ふっしぎーと思いながら久しぶりにちゃんと観たセブンは、全く子供向けではなかった。

セブンを観た映画館では、「マイ・ブロークン・マリコ」という映画も気になった。一時期、よく行く書店で推されていた漫画の映画化だ。セブンのあとに、続けて観ようかなあという気持ちになったけど、それを観て帰ろうとすると、電車の中で日を跨ぐことになりかねなかったので、やめた。

その時間に、家にいない私がイヤだったんだなと気付いた。

母に「行ってきます」と告げると、必ず「早く帰ってきなさい」と言われてきた。条件反射なのかよくわからないけど、必ずそう言われてきた。

だから、早く帰ろう。そこに母はいないんだけど。

帰ってから電子書籍で漫画を読んだ。親友を突然亡くした女性が、遺骨を盗んで逃避行する内容だった。

時間が経つにつれて美化される思い出に抗うところとか、主人公が私みたいだった。私は母を救えただろうか。

逃避行の終わりに、主人公と同じような経験をしたと思われる男から「もういない人に会うには、自分が生きてるしかないんじゃないでしょうか」と言われていて、なんだか救われた気がした。

「思い出の中の大事な人とあなた自身を大事にしてください」

ああそうだね、その通りだね。やっぱり私の母親は、なにか私に電波を送ってきている。きっとそうだ。前世は親友だったのかしらね。

電子書籍で若干衝撃だったのは、マリコは子どもの頃から実の父親から虐待受けて育っているんだけど、レビューのなかで「こんな傷だらけの子に気付かず児相に通報しないなんてことある?」という書き込み。

私の母親は、親戚も近所の人も学校の人たちも知ってるメンタル病んだ人だったけど、心配されたことなんてないよ。

そういうもんだと思っていた。

私が子供のころに比べれば、虐待だの毒親だの話題になることが多いのに、まだ自分が見て見ぬふりをしてることに気付かないのかと吐きそうになったけど、この漫画を読もうとした時点で、その人にとっては身近にある問題なのかもしれないと思った。自分が偽善者だなんて、認められる人は多くないだろう。

悪趣味的にマリコのような属性をネタにする漫画はよく見掛けてきたけど、そのマリコを救いたかった主人公の視点の漫画は、新たなフェーズに入ったのだと思った。

マリコより主人公のほうが、フィクションかもしれない。

私はだれか救えているだろうか。

救いたかったダレカがいるから、生まれた漫画だと思いたい。

映画はっそのうちっ観に行きたいっ!

どこで聞いたか忘れたけど。人は別れ際に「気を付けて帰ってね」と言われると、本当に気を付けて帰るものらしい。私はそうやって、おまじないをかけられていたのかもしれない。

無事に帰るよ、また会う日まで。

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