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海が好き。大竹ジュニアから育ったライフセーバー。東京大学でも海の研究に勤しむ、彼女の夢・理想とは?

ライフセーバー名鑑No.5 田中えりか プロフィール

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田中 えりか(たなか えりか)
大竹SLSC所属 

海が好き。海の近くにいたい。大竹ジュニアから育ったライフセーバー。大会ではオフィシャル、安全課、競技者すべてを経験している。また、東京大学でも海の研究に勤しむ、彼女の夢・理想とは?

海って楽しい!

茨城県鉾田市の、大竹海岸近くに住んでいた田中。
ライフセービングに出会ったのは、小学四年生の時だった。

鉾田市では農業文化が根強く、海の近くに住んでいても、海に関して親しみを感じている人は多くないという。
しかし田中の母は、「海が近いのに、どうして海に行かないんだろう?」と疑問に思っており、田中が小さなころから海に連れ出していた。

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当時は月に1回程度のジュニアプログラムに参加していた。

ニッパーボード(子供用のパドルボード)で初めて大きな波に乗った瞬間。
「楽しい!!波はすこし怖いけど、でも、なんて楽しいんだろう!!」

海が好きになった最初の記憶である。

高校生の田中が決めた「道」

中学生になった。変わらず海が好きで、通い続ける日々。
あるとき大竹SLSCの練習に、西浜SLSCのジュニアチームが合宿にやってきたのだった。

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そこで目の当たりにした「フィジカルの差」

あんなにスイスイ波越えして、漕いで、泳いで、波に乗れるんだ・・・
すごい。自分は、トップにはなれないんだ。
フィジカル以外で、ライフセービングに関わる方法も見つけなきゃ。

中学生ながら、すでに大人のように海の中で活躍する同年代を見て、そう考えたという。

中学校は自宅から遠く、部活には入れなかった。
その分、行ける日には海に通い詰めていたのだった。

周りからは「なんで海いくの?」「なんでそんなに頑張るの?」と言われていたそう。
島国の日本ではあるが、日常的に海に行く生活をしている人は多くない。
そうでない人からすれば、田中の日常は異常に映ったのだろう。

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高校生になった。高校生になっても変わらず、海が好き。

この頃から日本ライフセービング協会の学生委員会(現学生室)が運営する「ライフセービング高校生競技会」がスタートしたのだった。
しかし会場は、神奈川県藤沢市。

大竹SLSCでは現地集合できる人のみ参加が許されていたが、田中は両親の都合が合わず、行くことができなかった。

「こんなにライフセービングが好きで海が好きなのに、環境が整ってないと参加できないんだ。こんな思いを、下の世代にさせたくないな」

そんな思いを抱えながら、大好きな海に通い続けた。

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高校生のある時、田中は将来についてこのように考えたという。

「やっぱり海が大好き。これからもずっと、海のそばにいられるようにしたい。
だから、ライフセービングをずっと続けたい。
だから、競技にも出続けたいし、パトロールも続けたい。
茨城のような田舎でも、ライフセービングを続けられる形に変えていきたいな。
私みたいな思いは、誰にもさせたくない。
全国の子供が、ライフセービングを、海を身近に感じて楽しめる環境を作りたい。
そのためには、1クラブじゃない。国の制度から変えないと。
政府や文科省に対して、海に関する教育制度に意見できる人間にならないと。
それなら日本のトップ、東京大学で海の研究をしよう。」

高校生の時の、この決意。
その思いは、今も続いている。

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逆算して必要なことをこなす

将来の道を決めた田中。
勉強へのモチベーションはもちろん、海。ライフセービングである。

高校生の時、エジプトで世界大会が行われており、それを見た田中はこう思った。
「ライフセービングの世界大会でオフィシャルをやろう!

がんばっても、自分は日本代表にはなれないだろう。
でも、オフィシャルなら今からでもできるかも。」

英語がぐんぐん伸びたきっかけである。

実際に、田中は2016年・2018年の世界大会にオフィシャルとして参加している。

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「いつまでに何をして、って考えて動いているんですか?」と聞いてみた。

「いつまで、とかは決めていない。決めちゃうと、『その時までにできればいいや』って思っちゃうから。やれることを見つけたら、タイミングが来たらどんどんやる。膨大なやることリストをこなしているかんじ」

もちろん田中の中で計画はあるだろうが、「いつまでに」と決めることが逆に足かせになってしまうのだとか。

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海が好きすぎるからこその挫折

大学生になった。
希望の東京大学に進学した田中だったが、そこにライフセービングクラブはない。

インカレサークル(他大学も受け入れているサークル)である、「早稲田ライフセービングクラブ」に入会した。

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これまでも様々なスポーツで活躍してきた仲間たち。
モチベーションの高いクラブのみんなに、胸が躍った。

早稲田のクラブ員が毎日のように海でトレーニングする姿を横目に、田中は勉強に励んだ。

東京大学では、1,2年生は教養学部に所属して幅広く学び、3年生からようやく自分の専門科目に集中して勉強ができるのだという。そのような制度だからこそ、1,2年生の時に、さまざまな側面から海にアプローチしている研究者の話を聞いて、3年生以降の専門を決めることができた。ただし、その反動は3年生以降にやってきた。専門科目が3年生以降に集中するため、勉強の量が半端ではなかった。

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「私も本当は海に行きたい。トレーニングしたい。でも、自分の目標は海の研究者になってライフセービングの普及に携わること。そのためにいまは勉強しないと・・・」

海が好きすぎるが故、海に行けない。そんなジレンマに苦しんだ。

そんな中、パニック障害を発症した。
海に行きたくても行けないストレス、トレーニングをすれば体力がついていかず、それでも後輩が困るから、練習会には参加して、パトロールも出なきゃ・・・・・

気持ちが切れた。
なにも考えられない。オーバーワーク。
好きなことをしているのに。と、「つらい」という気持ちにもずっと蓋をしていた。

しばらくの間、家にこもり、なんとか持ち直したという。
自分に必要なこと、やるべきことが見えているからこそ、全部やりたくなってしまったのだった。
そんな自分自身の行動を反省し、今はうまく、マルチタスクをこなしているそう。

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海の研究

そんな田中は、現在東京大学の博士課程で海の研究に勤しんでいる。

今年度、博士論文の提出を控えており、第一線で活躍する海の専門家たちを納得させるような内容・研究結果を出さなくてはならない。

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テーマは海底資源や過去の海洋の環境変動に焦点を当てる予定だという。
その研究を進めるために、これまで何度も船に乗り、数週間~数か月の間、海上で過ごしてサンプルを採取してきた。

↓田中が書いた船上レポートも掲載↓

船上レポート

なんと、潜水艦に乗って研究もするのだとか!

↓田中が乗った潜水艦↓

しんかい6500

今後の目標

次の世界大会に行くこと。世界大会はオフィシャルとして参加した回数に応じてバッジがもらえる。
3回目のオフィシャルだと、一番最初のバッジもらえるんだとか。他の国のオフィシャル仲間たちと「一緒にもらおう!」と約束している。

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2021年のワールドマスターズゲームズ関西も出たいし
30歳超えたら世界大会のマスターズも出たい。

「とにかく海のそばにいたい。」

船に乗る、潜る、研究をする、ライフセービング活動、どれでもいい。
近くに住むのでもいいけど、ずっと海を感じられる生活をしたい。
海の研究の気分転換が波乗り、船から降りてもパトロールに入る。
主な活動も、気分転換もすべて海がいい。

これこそ究極の「海が好き」である。

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田中の友人として

田中に出会ってから10年。
頭がいい、ライフセービングも海も大好きなことはわかっていたが、ここまで強く、熱い思いをもっていたことは知らなかった。

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話を聞いていて、一番強く感じたこと。
「自分に厳しいな」

学生の頃出場した大会で、田中の同期たちが非常に活躍したレースがあった。
その時の田中は予選で落ちてしまっている。

田中は「とても悔しい」と涙を浮かべていた。

とても印象的な姿だった。
田中のことを「海が好きで、いろんなことに挑戦する東大生」だと思っていたから。
レースでうまくいかなくても、「ここは自分のフィールドじゃない」と思っているはずだと。

しかしそうではなかった。

「勉強で忙しかったからできなくて当たり前」ではなく、「トレーニングに充てる時間を作り出し、十分なトレーニングを積んだ状態の自分に持っていけなかった」ということ。

そこが悔しかったと。

「悔しい」というだけでも驚いたが、その本意にもさらに驚かされた。
なんて強いんだろうと思った。

これからもずっと、変わらずに活躍する姿を見たい。

そして、田中が支え、けん引するであろうライフセービングの未来はなんて明るく、ワクワクするんだろう。


そう感じられたインタビューだった。

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