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田中綾が出会った本物の「ライフセーバー」とは? 心の奥底に迫る

ライフセーバー名鑑No.1 田中綾 プロフィール

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田中 綾(たなか あや)
日本体育大学LSC/鴨川LSC所属
1999年5月31日生まれ166cm 20歳
中学時代はサッカー、陸上を経験
高校の部活動説明会でライフセービングに出会う

ライフセービングを始めたきっかけ

中学では、サッカーのクラブチームに所属していた。

あるとき、自転車の前輪に足を巻き込み、全治1ヶ月の怪我を負った。

治ったは良いものの、なぜかサッカーを続ける気は起きなかった。

「そうだ、陸上部に入ろう。」

中学も終わりかけの3年生。

小学生の頃から大好きだった“走ること”を思う存分楽しんだ。

高校も陸上部に入ろう…

家の近くの私立高校へ見学に行った際、部活動紹介の映像が流れた。

ライフセービング?砂浜を走る??   

…走る!!!

「なんか良いじゃん、しかも人命救助とかカッコ良くない?」

一緒に来てくれたお母さんと盛り上がり、ライフセービング部に入りたくてこの学校に入ることを決意。


自分でもびっくり、トントン拍子で次のステージへ

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砂浜を90m駆け抜けて、速さを競う種目。

ライフセービング競技の中で最もシンプルな競技「90mビーチスプリント」に田中は打ち込んだ。

初めて出場した全日本選手権では4位。

「次はメダル欲しいなぁ」と思ったら翌年は2位。

ある日、部活の先生に紹介されたのは、日本のトップ選手を育成する“JLAハイパフォーマンスチーム”(日本代表強化指定選手)だった。

エントリーをすると、チームに選ばれた。

「なんか、みんなめっちゃ祝福してくれる…!」


チームの目標が、私の目標。ただ、それだけ

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詳しいことをよくわかっていなかった田中は、JLAハイパフォーマンスチームの顔合わせへ。

そこで発表されたのは、このチームの目標 “世界大会6位”  

2年間、この目標を達成するために活動をするという。

「世界大会にでる」

そう意気込んだ。


田中の前に立ちはだかる壁

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大学はライフセービング部が強い日本体育大学へ。

何度も日本一の経験がある、伝統ある部活だ。

だけど、田中は

「辞めようと思い続けながら一年間、部活に参加していた」

と言う。


大学に入ってすぐ、国際大会(三洋物産インターナショナルライフセービングカップ2017)の日本代表に選ばれた。

高校生のときと同じように、大会に向けて自分が考えた練習をしたかった。

主将に許可をもらい、自分の思うがままにトレーニングに励んだ。

しかし、部活中の時間に1人だけ違うことをしている田中は周りから良くは思われなかった。


「国際大会出場のため、明日出発します。」

(どうせ応援してもらえないんだろうな…。)

そう思いながら、大会出発前の挨拶を行った。
2年生になっても同じ心境だった。


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「もう辞めよう。」

日体大の部活を辞めて、そして他のチームに所属してライフセービングを続けよう、主将に自分の意思を伝えた。
主将からの返事を待っている間、一緒に国際大会に出場した同じビーチ種目専門の但野安菜選手に相談した。


すると、意外にもこんな質問が田中に投げかけられた。


「どんな、ライフセーバーになりたいの?」

「私は、誰からも応援されるライフセーバーになりたい。そのためには、泳ぐ練習もして、ボードを漕ぐ練習も頑張って、それで、ビーチ種目で優勝したらみんな応援したくなるような人になれるんじゃないの?」


この一言で自分の気持ちに気がついた。

最初は開き直って「一人で頑張ろう」そう思っていた。だけど今は…


得意、不得意関係なく、泳いだり、走ったり、監視活動や大会に向けて、いつも一緒にトレーニングに励んでいる仲間から、その一番身近な人たちだからこそ、応援されたいという気持ちに変わっていたことを。


「誰からも応援されない人」より、「誰からも応援される人」の方が絶対良い。

それからの田中の待ち受け画面はこの言葉になった。
これを見れば、何でも乗り越えられる。

部活動中にみんなと違う練習をすることはなくなった。

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競技者である前に、みんなライフセーバー


たった一言で考え方や物事の捉え方が大きく変わった。

今は、泳いだりボードを漕ぐ練習も楽しいという。

その一言を放った但野安菜の尊敬しているところは??

「世界大会銀メダリストなのに、壁を感じず何でも相談できるところ…」
「あと、インカレのとき、大学違うのに指導してくれるんですよ」
「敵でもあるはずなのに、何でも教えてくれるところ」

そう、田中と但野は同じビーチ種目を専門としているが故に全日本選手権ではライバルとして戦うこともあるのだ。

それにも関わらず、ビーチフラッグスのアップの仕方から極意まで聞けば何でも答えてくれるという。

「なんで、敵でもあるのに色々教えてくれるんだろうね??」

と、田中にたずねた。

「恥ずかしくて、そんなこと聞いたことないっす。(笑)」

「じゃぁ、質問しても教えてくれないな~って思う人もいるの??」

「いや、いないっすね~。(笑)みんな、教えてくれます

…あれ、なんでだろう。考えたことなかったです(笑)」

そんな田中も心の奥底で、気づいているのではないだろうか

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かつて、但野選手も、世界大会金メダリスト藤原梢選手にたくさん指導を受けていた。

もちろん藤原選手も同時期に大会に出ていた。

同じ種目で戦う相手にも関わらず、アップの仕方から、動作のアドバイスなど、、、出し惜しみせず、藤原選手が但野選手に指導しているシーンが何度もあったという。


ライフセービング競技の日本代表は結果をだすことが最終目標ではない。

結果と共に、この世の中にライフセービング活動を広め、「水辺の事故ゼロ」に貢献することが最大の目標である。

それならば、隣にいる選手はもちろんライバルだが、同じ目標に向かう仲間でもあるじゃないか。

自分が身につけた術を、隣の選手に教えて、隣の選手が成績を残し、ライフセービングの普及に繋がれば…それは最大の目標に一歩近づくことになる。

これは何も「日本代表」に限られた話ではない。

ライフセービングスポーツの競技者すべてに同じことがいえる。
心の奥底にはこんな想いがあるからこそ、競技者である前に、ライフセーバーとしてみんな行動しているのではないだろうか。


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