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「日本一」の座をつかんでも湧いてでてくる向上心。達成感よりも圧倒的なやりがい。 ライフセービングを長く太く続けられる理由とは

ライフセーバー名鑑No.4 荒井洋佑 プロフィール

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荒井 洋佑(あらい ようすけ)
西浜SLSC所属
1984年2月1日生まれ 36歳
身長179cm 体重77kg

ライフセービングとの出会い

中学は野球部、高校はバレーボール部。スポーツが大好きだった。

スポーツと言えば、「日本体育大学」。何か夢中になれることをやりたいと考えているときに出会ったのがライフセービングだった。

部活動説明会で海を舞台にした映像が流れ、カッコイイ先輩たちに囲まれた。

“自分を鍛えることが人の役に立つ”。

説明会の後も強く心に残った言葉だった。

やりがいがあって楽しそう…!

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大学4年間は今の自分の原点
 


 「大学生のときに、のめり込んだものはやっぱり“競技”ですか??」


スポーツが好きで始めたならば…と思い筆者は質問したが意外な答えが返ってきた。

「いや~、競技どころじゃなかったよ。何よりもパトロールだね。救助活動を何とかできるようにしないとっていう危機感しかなかったよ。」

入部してすぐ、ベーシックライフセーバーという資格取得に向けて合宿が行われた。検定を無事に突破すると、監視活動に向けた日々の訓練が始まった。

泳力が鍵を握るレスキューチューブを用いた人命救助の練習。できないことはなかったが、水泳を専門にやってきたわけではなかったので不安が残った。

波もない、風もない、1番穏やかな海の状態でレスキューボードに乗る練習をした。上手くバランスがとれず、乗っては落ちてを繰り返した。

波にのるどころの話ではない。自分がボードに乗るのに精一杯なのに、溺れた人を乗せてかえってくることなんてできるのか…。

更なる不安が押し寄せる。


「もし、俺の目の前で誰か溺れたら、俺が助けに行くんだよな…。」

監視活動の日が近づくにつれ、ライフセーバーとして浜に立つ責任を重く感じていったという。

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「何とかしなきゃ。」と、日々の練習にも取り組んだが、先輩には毎日怒られてばかり…。本格的に海水浴場期間が始まると朝から晩まで分単位のスケジュール。

何もかも上手くいかず、自分に自信が持てなくて、精神的、肉体的にも追い込まれていた。

「子どもがいない!!!!」

ある日のパトロール中に慌てふためいた母親が監視所にやってきた。荒井は1年生ながらも母親と一緒に子どもを探すことを任された。
海水浴場での「迷子」は、デパートなどでの「迷子」とは訳が違う。もしかしたら海で溺れている可能性もあるのだ。放送を流して待機するなんて余裕はない。即座に見つけ出さなければならない。

そのうち、何とか無事に子どもを見つけることができた。

「ありがとうございます、ありがとうございます…」
母親に泣きながら感謝された。


何にもできないって思っていたけど、こんな俺でも人の役に立てた…。
自信を失いかけていた荒井はその母親と一緒に、大粒の涙を流した。

ライフセービング活動の中でも、一番印象に残っている出来事だという。

日々のパトロールでの出来事を振り返り、反省し、次の日を迎える。

毎日、毎日、繰り返した。コツコツ、コツコツ練習を続けた。特に、特別なことをした覚えはない。

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目の前のことに一生懸命取り組む日々を続けていると、4年生の時に警備長(キャプテン)を任された。大きなプレッシャーに押しつぶされそうにもなったが、

「みんなをまとめる立場だからしっかりしなきゃ」

という気持ちが芽生えた。警備長ともなれば、もちろん後輩に指導する場面も多々ある。口だけ、は絶対嫌だ。

しっかりと行動も伴った人でありたい。

自分ができていないのに、周りにとやかく言う資格はない。今一度、自分に厳しく渇をいれた。

思い返せば、自分が1年生のときの先輩たちには「安心感」があった。自分もあの先輩たちのように一緒に活動するメンバーから「頼もしい」と思われる存在でありたい。

そんな思いが、どんな苦しいことも乗り越えるパワーの源となった。

気づいたら、自信がなくて浜辺に立つことを恐れていた自分はもういなかった。

「きつい、苦しいことのほうが多かったけど、こんなに成長できて幸せだなぁ…」

感無量。
大学を卒業した。

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金メダルの先に…


夏を万全の状態で迎えるために常に準備を続けていた。その中で、大会にも出場していたが、大学3年生までは決勝にすら残れなかった。

大学を卒業後、「若いうちしかできない!」と働きながらも時間を作って練習に明け暮れた。

社会人2年目を迎えた2007年。

全日本種目別選手権において、ボードレースで初めての金メダルを手にした。

会う人、会う人、「おめでとう!」「よかったね!!」と、声をかけられ、本当に嬉しかった。

だけど、自分が思っていた“達成感”は得られなかった。

念願の金メダルを手にしてもなお「もっと、もっと、がんばらなきゃな…まだ、やれることあるよな。」そんな気持ちが自然と湧いてきた。

 「ゴールがないところがライフセービングの魅力だよね。」

”達成感がない”という言葉からは想像できない、前向きな心境が伝わってきた。

もちろん、単純にひとつのスポーツとして、誰よりも先にゴールラインを駆け抜けたら、自然とガッツポーズが出るほど嬉しい。

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でも、もっと速く泳げるようになれば、もっと速く走れるようになれば、もっと、自分を鍛え上げることができれば、救える命が増えるかもしれない。「人命救助」に関してのゴールラインはないのだ。

当時、監視活動を行っていた和田浦の地域新聞に大会で優勝したことが取り上げられた。いつもお世話になっている地元の人からの歓声がすごかった。

「すごいねー!」

「日本一なんだねー!!」

「日本一の君が来てくれているのか~!更に安心だよ~!」

“金メダルを獲った”ということよりも、周りのみんなが喜んでくれて“安心感を与えることができた”ことの方が何よりも、心の底から嬉しかった。


責任ある立場が自分を成長させてくれた

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現在所属している西浜サーフライフセービングクラブで、委員長や理事という立場を約10年務めた。練習会の企画、全日本総合優勝に向けてチームをまとめあげた。仕事もあり、2児のパパという一面も見せる中どうしてそこまで精力的に打ち込めるのか聞いてみた。


「単純にまだまだ自分自身が成長していきたいというのと、これまで自分を成長させてくれたライフセービングに恩返しをしたいという気持ちがあるんだよね。」


照れくさそうに語った。
人の上に立つということは、当然、良いことばかりではない。

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例えば、自分と年が離れた若い大学生を指導するときなど苦労した部分が多々あったという。しかし、それすらも面白いと感じるのだそうだ。

振り返ってみれば、すべてのことが自分にとってプラスだった。大学時代に、“責任ある立場こそ自分を成長させてくれる”ことを知った。そして何よりも、チームに貢献できたときこそ最大の達成感を得られることを身に染みて感じているのだった。

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目標の全日本選手権総合優勝を成し遂げた。これ以上嬉しいことはないという。


今後のビジョン

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朝の5:30、家族が目を覚まさないように、そーっと海に向かう。

今は家族の時間が1番大事。自分の睡眠時間を削って、ライフセービング活動に打ち込む。また息子と一緒に表彰台にのぼりたい。

自分が頑張っている姿を息子に見て欲しい。そんな想いが今は強い。

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そして、チームへの想いも欠かさない。つい先日、理事という立場から離れてしまったが、可能な限りチームメイトとコミュニケーションをとり少しでも貢献していきたいという。


「ライフセービングって様々な関わり方があるから、多様性を認め合って、お互いの考えを大切にしていきたい。そうすれば、続けたいって人がもっともっと増えるんじゃないかな~。」

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大学生、社会人、父親、身の回りの環境が変化していく中でも、ライフセービングに対する想いの熱さは変わらない。常に、今できることに全力で挑む姿がとても印象的であった。

達成感をも超えてしまうライフセービングのやりがい。それが、ライフセービングに没頭し続ける理由なのかもしれない。

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