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僕のafter.311 《11》被災地でチラシを折りながら

僕は本当は震災後すぐにでもありったけの物資を持って家族の元へと駆けつけたかった。レンタカーでもしてそうするつもりだった。しかし、

「放射能もある。二次災害になる可能性があるから来るな」

と両親に強く釘を刺され、断念したのだ。


初めて地元に帰ったのはゴールデンウィーク。そのとき、親父が公務員特権で持っていた線量計が、飯舘村の道中、車内で5〜6マイクロシーベルトを表示していたことは鮮明に記憶に残っている。ただ、これが何を表すのか、当時の僕は何もわかっていなかった。ゴールデンウィークに帰ったとき、南相馬の国道6号線沿いは冠水していた。何もない広大な湖の所々にある車や船、そして建物の跡。そこは中学生時代によく遊んだ馴染みのある場所だった。その景色を見たときに、何か出来ることはないだろうかと何度も思ったけれども、その時はゆっくり考える時間はなかった。
高校時代の同級生であるケンスケからの電話はそんな折だった。地元・南相馬のために何かしたい、とずーっとモヤモヤしていた僕にとってはまさに「渡りに船」だったのだ。

彼はアパートの一室を自分の事務所にしていると言っていた。事務所までは実家からそう遠くはなかった。表札も何もない。恐らくここではないかと思われるメゾネットタイプのアパートの前まで来て、一度電話をかけた。すると、
「ここ、ここ。上がって」
と上から声が聞こえる。その2階へと上がると、部屋にはデスクが2台にパソコンやプリンタが配置されている。その部屋の中には彼ともう一人、知らない男がいた。
「どうも、コースケです」
と軽く挨拶を交わす。部屋にいた二人は黙々とチラシを折っている。僕はここに来るまで、この同級生が「何を」「どのように」助けて欲しいのか詳細を全く聞いていなかった。約10年ぶりの再会。にも関わらず、黙々とチラシを折っている。その沈黙と変な空気感に耐えきれなくなった僕は、
「それ、手伝おうか」
と口に出した。10年ぶりとはいえ、それ以外のセリフが全く思いつかなかった。
「言うの待ってた」
ヘラヘラと笑うケンスケにしてやられたと感じながら手を伸ばす。すると容赦なく目の前にチラシの束が積み重ねられた。その束をまた黙々ともう一人の彼と折り始める。そこでポツリポツリと会話が生まれた。
初対面の彼はケンスケの東京の友人で、一緒にバカをやっていた仲間なんだとか。僕にかかってきた電話と同じように「助けてくれ!今すぐ来てくれ!」という要請に対して、ちょうど転職活動中だった彼は本当に『今すぐ』に南相馬に来てくれたのだという。そして、なぜかチラシを折っている。改めて自己紹介をした。彼は僕よりも1つ年上で、セージと名乗った。


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