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僕のafter.311 《10》電話の向こう側

「やったぁ!」
僕は開放感に溢れていた。何てったって、トラブル続きの地獄の日々から抜け出すことができたのだから。そう、問題の商品を次々と無事納品できたのだ。ああ、これでやっと日本に帰れる。ゴールデンウィークに中国に戻ってから、またしても1ヶ月が経っていた。この1ヶ月、僕はいきものがかりの『帰りたくなったよ』を毎日聞いて過ごしていた。日本で誰が待っているわけではなかったけれど、早く帰りたくて帰りたくて仕方がなかった。中国は好きだ。仕事も楽しいしやりがいがある。けれども、やっぱり日本へ戻って休息をとりたい。ひと段落がついたということで、僕は日本に帰れることになった。帰りの飛行機の中でもやっぱり『帰りたくなったよ』をずーっと聞いていた。

日本に帰ってすぐに、友人が飲みに行こうと誘ってくれた。長期出張の労をねぎらってくれるのだ、と。非常にありがたい。日本の居酒屋なんて何ヶ月ぶりだろう。僕はとても楽しみにしていた。
一通り飲んで、居酒屋から出ようとした時、突然電話が鳴った。何の気なしにパッと出ると、

「助けてくれ!」

という第一声が飛んだ。時間は夜の9時を過ぎていただろうか。突然の電話に僕は居酒屋の階段を降りたところで足を止めた。駅前のざわざわしている雑踏を避け、人が少ない方へと歩を進める。声の主は高校の同級生。彼、ケンスケは震災の前年の12月に南相馬市議会議員に立候補し初当選を果たしたばかり。震災の対応が新米議員の初仕事にしては相当荷が重かったのではなかろうか。本当によくやっていたと思う。それに、僕が震災直後に見ていたツイッターは彼が発信したもの。マスコミもやれ気仙沼だ、石巻だ、大槌だ、南三陸だと大忙しの中、南相馬の状況をツイッターで伝え続けてくれた。当時、ケンスケの情報は本当にありがたかった。
彼からの連絡は何年ぶりだろうか。高校卒業後も何度か話をしたことはあったが、高校時代も別に特別仲が良かったというわけでもない。会話も数えるほど。それなのにわざわざ電話をして「助けてくれ」と言うからには相当に切羽詰まっているのだろう。

「大変なんだ、今すぐ地元に来て欲しい」

今すぐと言われても、こちらはサラリーマン。在京な上にこの時間帯。残念ながらすぐに動けるフットワークは持ち合わせていない。
「そっちの事情はわかる。けれどもこちらもすぐには動けない。週末、そっち行くよ。それでいいか?」
彼は「わかった。待ってる」と言って電話を切った。「今すぐ来てくれ」という無茶な要求をされたのにも関わらず、僕はケンスケからの連絡に少しだけ心が躍った。僕は家に帰るとすぐにパソコンを開き、週末に地元へ帰るための交通手段を調べ始めた。

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