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なんでもないようなことが幸せだったと思えるスキル

2003年当時はサブスクやYouTubeなどがなかったので、流行りの音楽を聴くにはCDを買うかテレビやラジオをつけるかという選択肢しかありませんでした。
小学校4年生だった僕はCDなんて高価なものをそうそう買えるはずもなく、野球中継を見る父親とチャンネル争いをしてMステが見れたり見れなかったり。でもMステはゲストの曲しか聞けないからヒット曲を聴くには土曜日の深夜にやっていたカウントダウンTVが最適でした。家族が寝静まった頃起きてきて、一人でコソコソヒット曲をチェックしていました。

この頃のヒットソングでめちゃくちゃインパクトが強かったのが虎舞竜のロード。モノクロの世界の中で吐き出される白い吐息と唾がかっこいいと思っていました。

小学生時分、ロードの歌詞の意味などわかるはずもなく、悲しい歌なのだと知ったのはずっと後になってからなのでした。

なんでもないようなことが幸せだったと思う
なんでもない夜のこと
二度とは戻れない夜

ロードで一番有名なこのフレーズ、今考えると真理だなと思います。

幸せは失くしてから気づくもの?

ロードに限らず、幸せはそうじゃなくなった時に初めて気づくというようなフレーズの曲はたくさんあります。
ラブソングもそうですね。君を失って大切さに気付いたとかなんとか。

どうやら幸せってやつは失くさないと気づかないらしいんですよ。
放射能と一緒で目に見えないからこそ、意識しないとそこにあることがわからない。じゃあ、意識したらいいじゃんという話です。

幸せの定義とは?

幸せってどう意識したらわからない!という声が挙がってきます。僕もそうでした。幸せってなんぞや?と禅問答のように考えていたこともあります。

幸せの定義なんて人それぞれなんじゃないですかね。

美味しいものを食べて幸せ〜というのに共感できる方は多いと思いますが、バイクに乗っている時幸せ〜と言われても共感できる人は限られるでしょう。僕はバイクに乗らないので共感はできません。しかし、人によっては思いもよらないことが幸せだと感じるもの。

自分が幸せだなぁと感じることは人と違っていていいし、一人何個あっても良いのではないでしょうか。

なんでもないようなことを幸せだと意識する

僕は仕事から帰ってきて、子どもたちと遊んでいるなんでもない日常がとても幸せに感じます。誕生日とかクリスマスとか特別な日は特別な日の高揚感はあるけど、実は日常のなんでもないようなことの方が幸せだったなと思うのです。

「足るを知る」
と孔子は言いましたが、
幸せな人って、お金持ちでなんでも持っていて成功していて誰からも羨ましがられるような人ではなく、日々の幸せを意識して噛み締めている人なのではないでしょうか。

幸せは目に見えないからこそ、意識して感じる。

ごはんが美味しい、幸せ
LINEの返事が早く返ってきた、幸せ
テレビが面白い、幸せ
子どもが笑っている、幸せ

実は身の回りには幸せがたくさんあることに気づくと、後から「二度とは戻れない」などと考えなくて済みます。今日が幸せだったから明日も幸せに生きられる。

「なんでもないようなことが幸せだったと思」えるのはスキルです。

ありがとうございます!これを励みに執筆活動頑張ります!