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ライフレコード002「尊師のできるまで」松本智津夫

先日死刑執行されたオウム真理教教祖・麻原彰晃こと松本智津夫。僕は当時小学校を卒業したばかりでしたが、地下鉄サリン事件は相当なインパクトを持って記憶しています。死刑執行によって今再びメディアなどで注目されているのを見て、松本智津夫はいかにして麻原彰晃になったのか、単純に気になりました。どこも過去の事件ばかりを報道し、本人について深掘りするものは見当たらなかったからです。もしかしたら地下鉄サリン事件当時はそのような報道もあったのかもしれませんが、何しろ僕はまだ小学生でしたから、そこへの興味関心はありませんでした。


そこで、今改めて松本智津夫の人生をライフレコードとしてまとめてみました。


俯瞰して気づくこと

真ん中から近いところ、第1層目が内面に影響を与えたであろう事象。第2層目が学歴・職歴・賞罰など個人の外殻を表す項目。第3層目が当時の社会を表す事件事象。ライフレコードはこの3層で成り立っています。

まずは俯瞰してみます。
青色が失敗体験、緑色が成功体験として色付けしています。もしかしたら本人にとっては違うのかもしれませんが、一般的な概念と、僕の独断と偏見によってカテゴライズしましたのでご了承ください。真ん中の層、赤文字に黄色マーカーは刑事事件を表します。外側の層、黄色マーカーは災害、水色マーカーは政情不安を与えるような事件についてチェックしました。


すると、左側135°から225°にかけてごちゃごちゃと混み合っていることに気づきます。135 °付近は1982年。薬事法違反を犯して初めて逮捕された時ですね。そして225°の位置は1997年、逮捕後何度も裁判が行われているタイミングです。つまりこの16年間が、松本智津夫の人生が最も濃かったコアタイムだったと言えるのではないでしょうか。


幼少期から見る尊師の片鱗

今回独自調査をするまで、松本智津夫が弱視だということを知りませんでした。しかも生まれつきで、認定はされなかったものの、当時大騒ぎされた水俣病の影響の可能性もあったとか。

生まれつきハンデを持っていた上に、小学校に入学した直後に全盲の兄と同じ盲学校に半ば強制的に入学させられます。智津夫自身は左目は弱視だったものの、右目は見えていたため、普通の学校でも通えていたらしいです。それを全寮制(学費食費も不要)の盲学校に入れられたものだから、口減らしのために自分は捨てられたのだと感じてもなんら不思議ではありません。事実、松本兄弟は週末になっても実家に帰らず、衣類などの差し入れもなかったそうです。学生時代は相当荒れており、暴力や恐喝を行っていたというのも無理なからぬこと。幼少期の心の傷の深さが伺い知れます。


強い権力欲を持っており、小学校時代には児童会長、中学校時代には生徒会長、高校時代には寮長にそれぞれ立候補し落選。「病気で困っている人を救う仕事がしたい」と医学部を志すも制度上の問題で挫折。その後東大を目指すも挫折。挫折挫折挫折の繰り返し。親には見放され、頼れる者がいない環境のせいか、常に強い自分であろうとしたように映ります。


一線を踏み外し、「彰晃」になる

盲学校時代、荒れていたという証言はあるものの、逮捕・補導という一線踏み外した経歴は見あたりません。最初の逮捕は21歳の時。兄を侮辱した従業員を殴って暴行罪となり罰金刑を受けました。一度踏み外したことによりタガが緩まってしまったのか、保険料不正請求が発覚し650万円を返納したり、薬事法違反で逮捕されたりしています。薬事法違反での逮捕は27歳で妻子ある身のこと。若気の至りでは済まされないのと、徐々に罪状がエスカレートしているような気がするのは気のせいでしょうか。


薬事法違反で逮捕される前までに、4年間で鍼灸院、漢方薬局、健康食品販売店と3つも職を変えているということ、阿含宗に傾倒し「彰晃」と名乗り始めたというトピックスが見られます。20歳〜27歳にかけて、そこらの若者同様、まるで自分探しをしていたかのようです。


薬事法違反で逮捕後、松本彰晃を名乗るあたりからスピードが加速していきます。学習塾をはじめ、そこからヨガ教室に変わり、株式会社を設立し、宗教団体を作るまで実に3年。松本智津夫はあっという間に麻原彰晃へとなっていったのです。


社会はオウム真理教を必要としていたのか?

宗教団体が設立された前後、今回死刑執行された幹部や逮捕起訴された多くの幹部が入信しています。それも高学歴で頭の良い人材がゴロゴロと。時代背景を見ていくと、1986年にチェルノブイリ原発事故があり、世界は核の恐怖に怯えました。バブルに浮かれる日本で、幹部連中は時代の変わり目を肌感覚で察知していたのかもしれません。結果論ですが、選択肢としては誤ってしまったようです。

その後、昭和天皇の崩御、ベルリンの壁崩壊、バブル崩壊、湾岸戦争、ソ連崩壊と次々と政情不安な出来事が起こっています。昭和から平成になり、明らかに時代が変わった瞬間でもありました。この時期、あれほど多くの信者が入信した要因は、バブル崩壊を経て就職氷河期が訪れ、人生に不安を抱える若者の心を掴んだからなのかもしれません。


自己肯定感を高めていった末の暴走

オウム真理教と改称して以降、ダライ・ラマと接見し、海外支部を設立するなど、松本智津夫はこれまでにないくらい成功体験を積み重ねています。まるでこれまで満たされなかった自己肯定感を満たすかのように。さらにはテレビ出演も増え、憧れだった東大での講演も行なっています。この講演は反対派の乱入で中断を余儀なくされたとはいえ、大いに自己肯定感を高めたことと思われます。そして、自分を尊師として崇めてくれる信者は続々と増えるわけです。自己肯定感ばかりでなく、自分は何でもできるんじゃないかという自己有用感もどんどんと膨らんでいったことでしょう。それこそ、自分は神なのだと錯覚してしまったのかもしれません。自己有用感も行き過ぎれば自己陶酔になってしまうのです。


神(麻原)の御意志に従わないものには天誅を(数々の殺害事件)。衆議院選挙による正規ルートで日本という国を変えられないならば、テロという裏ルートを使って日本を変えるまで(武装化)。1988年の在家信者死亡事件から始まり、地下鉄サリン事件までの数々の殺人は、麻原彰晃自身の究極の自己陶酔が生んだ戦後最大の悲劇なのではないかと思います。


終わりに

断っておきますが、僕は心理学者でも、精神科医でもないので、これらの解釈は記録からの想像であり、個人的な妄想です。「歴史的な事実」としてはまた違うところにあるのかもしれません。ただ、その人物がどういった人生を送り、何が影響して、社会的な事件に至ったのか。その因果関係に関して想像を膨らませていくことは育児や教育、犯罪予防の視点からも有益ではないだろうかと思っています。事実として、このような人生を送った人は教祖となり、無差別殺人を犯したのですから。極論ですが、同じパターンの人生を辿ると、教祖になる可能性はあるということです。このように、データを積み重ねることで、別々の人物の共通点や相似点が見えてきたらライフレコードももっともっと興味深くなるのではないかと感じています。


ライフレコードの人物リクエストなどあれば、ぜひコメントくださいませ。

ありがとうございます!これを励みに執筆活動頑張ります!