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人生最初の記憶

人生最初の記憶は、ひいおばあちゃんの通夜の記憶。

病院にお見舞いに行ったことや、
ベッドに乗せられた時の冷たくて硬いシーツの肌触り。
おばあちゃんが抱いてくれていた温もり。
それだけは覚えているけれど、
鮮明な記憶は、お通夜のことしかない。

3歳になる前の秋。
公民館の床の畳を掻きむしって泣いた。
ビロード調の紺色のワンピースと白いタイツ。
タイツは大嫌い。静電気もチクチクする。
タイツに刺さった畳の破片が足に刺さって痛いから。

それでも、その日は、そんな感覚はどうでも良かった。
ただただ、おばあちゃんがいなくなってしまった。私は置いて行かれた。なんで連れて行ってくれなかったの!?
壮絶な絶望感でいっぱいだった。

棺から離れないでのたうち回って泣く幼児を、周りは驚いて見ていた。
母や父が怒鳴っているが遠くから言われているようで聞こえない。

幼い時に両親が離婚した母と叔母にとって、
ひいおばあちゃんは、育ての親だった。
おそらく私以上に辛かっただろう。

悲しいね、寂しいね。
そんな声がけをしながら、
抱っこして、背中を叩きながらあやしてくれた。
自分でも驚くぐらい大声を出して泣いた。

叔母夫婦に連れ出されてからの、その後の記憶はない。

喫茶店を経営していた叔母夫婦。
背の高いヒゲを生やした叔父さんが、カウンターの向こうでコーヒーを入れているのを見るのが好きだった。
まだ飲めないけど、焙煎されたコーヒーの匂い。お湯が沸騰して、吸い上げられていく様子。
背の高い叔父さんが、カウンター越しだと同じくらいの目線。

他のお客様と楽しそうに穏やかに会話する低い声が心地よかった。


よく、叔母が私を庇って母と喧嘩になった。
そうすると、また、1年以上、叔母達に会えなくなってしまう。
喧嘩になって帰るとき、
車を寂しそうに見送る、小さくなっていく叔母の姿が脳裏に焼きついている。

母親が、叔母夫婦と仲良くすると機嫌が悪くなる。だからいつも、怯えながら様子を伺いながら叔母と遊んでいた。

20代になって、拒食症になりかけて、気がつくと手足を掻きむしっていた頃。
久しぶりに会ってすぐに、叔母が異変に気がついた。
母に隠れて、叔母の家に行った。
仏壇に、ひいおばあちゃんの葬儀の日の私の写真が飾ってあった。
アップの満面の笑みの写真と、
滑り台ではしゃいでいる写真。

叔母夫婦には子供ができなかった。
ぽんちゃんは、私達の子供みたいなものだからと。

仏壇の前にあると、幼くして死んじゃったみたいじゃない?

恥ずかしくて、そんな軽口をたたいたけれど、
自分の写真を飾ってくれていて、
初めて嬉しさを感じた体験だった。

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