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いまこそ使いたい、習慣がくれるちいさな魔法
私たちの目にうつるさまざまな景色はいつも、私たちにいろいろなことを話しかけてくれている、と時々おもう。
毎日、朝ごはんを食べるこのテーブルからみえる見慣れた部屋や、窓からみえる隣の家の屋根のいろ、そしてこの季節になると毎年とんでくる鳥たちの羽のうごきとか。
家をでた瞬間に頰にあたる風の感覚や、太陽のぬくもりなんかも、きっとそう。
そのひとつひとつが、今日の地球がどんなことをおもって、私たちの今日がどんな1日になってほしいと願っているのかを伝えてくれているのだろう。
そんな大きな自然の流れや、素直な気持ちにしたがってやっていけば、この世はきっと意外とあっさり簡単にいくことばかりなのだけれど、私たち人がつくったルールのなかではそうはいかない。
私たちの人生には悩みはつきない。
それは誰かひとりだけにとくべつ落とされた影というわけではない。
こんなに美しい太陽がさんさんと降りそそぐ地球に私たちは生きているのだもの。
陽が強くあたればあたるほど、影は濃くなってあたりまえだし、
私たちのハートがその濃ゆい影に、やられてしまいそうになる瞬間があることに、なにひとつおかしなことはない。
毎日の習慣というもは、ぎりぎりの気持ちになってしまっている時こそとても大切なんじゃないかと私は思う。気づいたらとりかえしのつかないところまで行ってしまう気持ちを、唯一もとの場所へとどめておいてくれるちいさな魔法なのだ。
今、いつもどおりの日常を過ごしたくても過ごせない、そんな中で、毎日あつい紅茶を一杯飲むだけのことなのかもしれないし、毎晩ねるときにはきちんとパジャマに着替えるだけのことなのかもしれない。
だけど、たったのそれだけで、気づかぬうちにぎりぎりから救われる瞬間がたくさんあると思う。
毎日、自分の街でおなじように暮らしているつもりでも、美しいものに見惚れられる日もあれば、なぜか汚いものばかりが目に入ってきてしまう日もある。
今日もいつもどおりの私の街に私の体で生きているだけなはずなのに。
毎日、毎日、私たちはそんな些細な目線と戦って生きているのだ。
油断するとすぐに、そこらじゅうを漂っている悪いものたちに喰われてしまいそうになる。だけれど、そちらを向いて、喰われないように、喰われないように、とぎりぎりな気持ちでいるほど苦しいことはきっとない。
それよりも、お天道様のてっぺんをめざして、届かないなぁとおもいながら、気づいたらそういう、悪いものたちがいる床の底の方から遠ざかっている、そういう生き方をした方がきっと健やかになれるに決まっている。
だから、丁寧に、少しずつでも、ベランダから太陽をあおいで、今日は晴れててありがとうって背筋を伸ばすような気持ちで、自分をとりまくひとつひとつを選んでいきたいと思うのだ。
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