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「別れぎわの記憶」

人生には、何かものすごく大きな転機が訪れるとき、それまでの人間関係がガラリと一変する時がある。
・・・みたい言葉が、繰り返しXやスレッズで出てくる。私がそういう言葉に引っかかるから、最近は毎日こんなお告げ的メッセージが溢れかえるようになってしまった。まあスピリチュアルなことはよくわからないけど、不思議と人間関係というものは、自分の意思にかかわらず変化していくものだ。
見回してみると自分だけでなく、緩急はあるにせよ、人付き合いが変化している友人はたくさんいる。

もういい大人なので、誰かと面と向かって喧嘩するということはない。
たとえば誰かと、最後に会った時のことを思い返してみると、いずれもとても楽しく、和やかに終わった、という記憶しかない。「別れぎわの記憶」は、ほとんどが良好なものだ。

別れぎわは良好で、何ごともなかったのに、その人ともう二度と会わなくなる、というような事象が起こるのはなぜだろうと、最近考えるようになった。
理由などはっきりしている。SNSである。

会わずとも近況が知れる時代に

むかしは、数年会う機会がなかったとしても、友人と再会したときの感覚は、依然として友好的で、それまで積み重ねた記憶の中のその人と相違ない、という感じだった。「別れぎわの記憶」は、再会時において上書きされ、友人関係の歴史は紡がれ続けた。

ところがSNSが一般的になった今はどうだろう。
ほとんどの友人の近況を、いつでも知ることができる。積極的に公開していない人に対しても、メッセージのやりとりはできる。これまで、別れぎわから再会時までポーズされていたレコードは絶えず機能しており、会わない間にその人がしていること、交友関係、考えていることなどを知ることで、常にその人についての記憶が上書きされ続けることになる。これは、人間関係において、大きな影響を及ぼしていると思う。

たとえば、Aさん、Bさん、Cさん、3人の友人関係があったとする。ある日3人で楽しく会食し、別れる。「また3人で飲もうね」と、それは楽しい記憶で終わっていた。
ある時、Aさんは、BさんとCさんだけで会食している写真をSNSで見る。Bさん、Cさんに他意はないが、Aさんは寂しい思いを抱く。

あるいはAさんには苦手なDさんという人がいるとする。ある日Bさんが、Dさんと仲良くしている写真をSNSに投稿する。「Dさんなんかと付き合う人なのか」とAさんはBさんを軽蔑するようになる。

あるいはCさんは仕事で失敗をして落ち込んでいる。たまたま目にしたAさんのSNSでは、新しい仕事を得たAさんがキラキラと輝いて見える。妬ましく思う。

こうして仲が良かった3人グループは、散り散りになっていく。

3人にリアルで起こった出来事は、ある日楽しく会食したという事実だけだったのだが、特に知る必要もない情報を得たことで、記憶は上書きされ、それぞれへの思いも複雑なものに変化してしまう。

もちろん、SNSがなかった時代でも、誰かの「チクリ」などで人間関係に亀裂が入ることは多々あった。が、今は、大なり小なり、毎日がこんなことで溢れかえっている。

誰が誰と付き合おうが、どう考えようが、どこ吹く風。自分一人であればそんなふうに考えていればよいのだろうが、思わぬところで、思いがけない影響を受ける人たちがいて、人間関係におけるバタフライエフェクトがあちこちで巻きおこる。もはや、止めようがないのだ。

「学生時代の友達こそ真の友達だ」と考えられていたのは、私たちの青春が昭和だったからではないのか。友情の記憶は上書きされない時間が長く、美しく醸成した。ところが今の子どもたちはどうだろう。常にアップデートされ続ける他人の情報を受け入れながら、どんな友人関係を紡いでいくのだろう。

・・・などと、ちょっと心配になる。余計なお世話だよ、と息子に笑われそうだが。

だからこそ大切にしたい、「別れぎわの記憶」

最近、知人が急逝した。
病気が見つかって3ヶ月、あっという間にこの世からいなくなってしまった。ほぼ同世代の女性だ。

もう本当に、うかうかしていられないな、と強く思った。
今はまだ、好きな時に好きなところへ行けて、好きなものを食べたり飲んだりできる。でもあと30年たったら80代だ。長距離移動もしんどくなるかもしれない。
旅行の計画を、ここ20年くらいの間できっちりしておかなければ。欲しいものも、いまのうちに手に入れておかなければ、使える時間が減ってしまう。
ここ10年の時間の流れの速度を思うと、なんだか焦ってしまう。

そう考えていると、SNSで誰にどう上書きされようとも、知ったことかと思えてくる。今の私という人間と付き合ってくれる人との時間は、一瞬一瞬でも大切にしたい。家族や友達と過ごす時間も、仕事に向かう時間も、何一つムダにせず、楽しみたい。

そしてその人との別れぎわの記憶こそを、留めておきたいと思うのだ。直接会って話をした、その時の感情こそ覚えておくべきで、他人からの入れ知恵やSNSから流れてくる噂にいちいち惑わされたくない。
自分がその場でどう思うのかを軸にして生きていこう、そんなふうに思う。

動物は「今」だけを生きている。




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