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走馬灯を見たことがありますか?

人は死ぬとき、実際に人生の走馬灯を見る――。科学的な「アクシデント」によって得られたデータが、そんなことを示している。

カナダのある研究チームは2016年、87歳のてんかん患者の男性の脳波測定を試みた。ところが測定中、患者が心臓発作に見舞われ死亡。予期せず、人が死ぬときの脳の状態が記録された。

その記録には、死の前後の30秒間に、男性の脳波に夢を見ている時や、記憶を呼び起こしている時と同じパターンの動きが確認されたという。』
BBS NEWS JAPAN 2022年2月24日より引用


死の間際や死に直面した際に、見るという走馬灯。
この走馬灯を一度だけ見たことがあります。

歯科衛生士科の短大へ通っていた時のこと。
通学のために利用していた乗換駅で、単位を取りこぼすと留年の可能性がある実習に遅刻しそうで、焦っていた私は、全速力でホームを走っていました。

ホームに電車の出発を知らせるベルが鳴り響き、今まさに電車が発車しようとしている間際、電車の閉まる扉に、私は自分の体をなんとか滑り込ませようとしました。

すると、次の瞬間、足と腰に鈍痛が走り、身動きが取れなくなり、一瞬自分の身に何が起きたのか分からなくなりました。

その時の私は、ホームの縁に腰掛けた状態で、左足は、電車の閉まる扉に挟まれ、右足は、ホームと電車の間にできた隙間に下ろしていて、どうやら、ホームと電車の隙間に足を踏み外し、その拍子に足を挟まれたようで、身動きが取れない状態になっていました。

はっと我に返ると、電車の発車を知らせるベルが止み、今まさに電車が出発しようとしているところでした。
電車の扉に挟まった左足をどうにか抜こうとして、もがいても、恐怖で体に力が全く入らず、身動きは取れないままでした。

私の脳内では、片足が扉に挟まれたままの私を引きずりながら、電車が高速で走り出す光景がありありと浮かび、その後、線路に頭を強打したり、体が電車の車輪に巻き込まれるなどして、命が尽きることをはっきりと確信していました。

今までの人生は、家庭環境が過酷で、心身症を患い、毎日を生きることに苦しみを抱えながらも、何とか日常生活を送っていたので、命が尽きることでようやく解放されるんだ、という気持ちもありました。

「もうここで死ぬんだな」と観念した途端、「でもこの死に方はいくら何でも格好悪すぎる。。」「駅にいる人みんなに醜態を晒すのか。。」「駅員さんは、後片付け嫌だろうな。。」「痛みや苦しみを感じながら、死ぬのは嫌だな。。」と、この状況下で死ぬのはちょっと嫌だな、と何となく思った途端に突然、周りの騒音が消え、見えていた現実世界が薄まり、大きな円筒形のフィルムの内側中央に自分がいて、そのフィルムが回りながら映像を映し出しているのが見えました。

私の脳内では「この状況は何だ?」「何を見させられている?」「こんなことをしている場合じゃない!」「早く何とかしなくては!」と思いながらも、映し出される映像をじっと見つめていると、自分が生まれてから、今日までに毎瞬毎瞬に起こった詳細な出来事が映し出されているのに気が付きました。

今の状況の助けとならない映像は高速で過ぎ去り、怪我をしたけれど無事だった、危ない目にあったけど機転で乗り切った、などの、今の状況を脱するための助けになる映像は、スローで再生されて、もっと細かな部分を見たいと思えば、ピントが大きくなったりして、何とか今の状況から脱出するためのヒントが、得られないかを映像を通して、走馬灯は教えてくれているかのようでした。

私は、小さい頃から内向的で、家で過ごすことが多く、外での危険な場面でピンチを切り抜けた経験があまりにも少なかったため、映し出される映像から、現状を打破するヒントを得ることはできませんでした。

その時に思ったことがあります。

「せっかく、命を繋ぐためのきっかけをもらったのに、今までの人生を積極的に生きてこなかったから、ピンチの時に何もできないのだな。もっとやりたくないこと、苦手なことも嫌がらずにやっておけば良かったな」
「苦しいことばかりの人生って思っていたけれど、意外と楽しいこともあって、それを忘れていただけだったんだな」
「走馬灯って、本当にあるんだな」
「人って、普段は思い出さないだけで、生きている間に毎瞬起きた出来事や、見たこと、聞いたこと、感じた気持ちを、生まれてからずっとの、とてつもなく膨大な量を覚えているんだ!すごい!」
「でもこれから命が尽きようとしている。こんな人生で本当によかったのだろうか?」
と後悔と感動が入り混じった複雑な思いが交錯していました。

生まれてから、この瞬間までの映像を全て見終わり、
「走馬灯には、何もヒントがなかったな」と思った瞬間、
走馬灯が目の前から消え、意識が現実世界に引き戻されると、私の左足を挟んだままの電車はまだ発車しておらず、発車のベルがちょうど鳴り止んだ時だったので、走馬灯を見ている時間は、きっと数秒だったろうと思います。

生まれてから今日までの、膨大な記憶という映像を見終わったばかりの私は、数時間かけて壮大な映画を見た感覚なのに、時間は数秒しか経っていないことを不思議に思っていました。


そんなことをぼんやりと思っていると、離れたところから、「その電車止まれー!」と大声で叫びながら、こちらに全力で駆けてくる、スーツ姿のサラリーマンの姿がありました。

手に持っていた鞄を放り投げ、必死に駆けてくる姿は、私の目にスローモーションで写っていました。

そのサラリーマンは、私のもとに駆け寄ると、すぐにしゃがんで、私の後ろ手を掴み、力強く引っ張ってくれました。
電車の扉に挟まっていた左足がスルスルと抜け、黄色い線の内側まで、引っ張り出してくれた時、「助かった!生きてる!」とほっとしたのを今でも覚えています。

その様子に気が付いた駅員さんが、駆け寄ってきて、怪我はないか聞いてくれました。
私は、夢でも見ているかのような茫然とした意識のまま、無言でうなずくことしかできませんでした。

駆け寄ってきてくれた駅員さんが、電車に向かって合図をすると、電車はそのまま次の駅へと走り出しました。

助けてくれたサラリーマンは、無言でその場を立ち去り、放り投げた鞄を拾って、何事もなかったかのように去って行きました。

足と腰に痛みがありましたが、それこそが「生きている」ということを実感し、命を救ってくれたサラリーマンの方に、心の中で何度も「ありがとうございました」と伝えました。


『走馬灯を見る』という臨死体験をした人は、不思議な能力が開花すると聞いたことがありますが、私には残念ながら今のところ、特殊能力は開花してなさそうです。

ですが、『走馬灯を見た』ことで、はっきりと分かったことがあります。

人は、普段は、思い出すきっかけがなく、記憶に蓋がされている状態なだけで、生まれてから命が尽きる瞬間までの、見たもの、聞いたもの、感じたものの記憶を、全てしっかりと覚えているということ。
それは、自分の意識を超える状況で、蓋が開いた時に、くっきりと思い出すことができるということ。

また自分という存在は、前世の記憶やご先祖の記憶を血縁の中に宿して生まれてきています。
それは、宇宙が誕生してからの記憶すべてを包括していることなのです。

だから、私たちは、すでに「全てを知っている」存在なのだと思います。

知らない、分からない、できないと言っているだけで、本当は、体の中に、意識の中に、血縁の中に全ての知識を持って生まれてきていると思います。

自分が蓋をしている自我という意識を外し、自分の中にある特殊な領域の扉を開けた時に、「全てを知っていた」ことを思い出せるのかもしれません。

走馬灯を見るという臨死体験をしたことで、死生観が変わり、人に備わっている強力な特殊能力に気が付き、自我をコントロールすることで、人生を変えていった人たちは、特殊な領域の扉を開けたのだろうと思うのです。

私はまだまだ自我と煩悩にまみれ、自分に制限をし、積極的な行動を起こすことにブレーキをかけてしまう日々ですが、自分の中にある「特殊な扉」を開け、みんなの幸せのために命を燃やすことができる自分に、いつかなれたらいいな、と思っています。

みんなの心が穏やかで、身体が健やかでありますようにと、いつも願っています。

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素質の紐解きアドバイザー&タッチケアセラピストとして、これからもたくさんの方とご縁をつないでいけたら、嬉しいです!

みんなの心が穏やかで、身体が健やかでありますように。
地球がみんなの輝きでいっぱいに満たされますように。

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