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箸が転んで悶絶する


私は滅法笑いに弱い。

 あれは小学6年生。放送委員だった私は放送室で窮地に陥っていた。お昼の放送が始まる直前、私は同じく放送委員で同級生のYさんの策略に嵌り、笑いの坩堝に叩き落とされた。笑わないようにしよう、笑わないようにしようとすると先程の光景がやけに鮮明に思い起こされてしまう。そして当初の面白さよりも格段にバージョンアップされた面白さとして認識した私は更にドツボにハマっていく。思い出し笑いの火力の強さ、何故なのか。あれはもう呪いだ。
 さて、私は当時放送委員長だった。それはそれは責任感が強く、他人(特に男子)にも自分にも厳しい、典型的な癇に障る委員長だった。
そんな私が、放送委員会における最大の花形活動であるお昼の放送を前にして、笑いの呪いに侵されてしまった。委員長として、お昼の放送の第一声は譲れない。しかし、その時の私においては笑いを止める術など持ち合わせておらず、必死に息を止めるという無意味な抵抗しかできなかった。
 私と笑いの波の激しい抗争を横目に、お昼の放送開始の定刻となった。覚悟を決め、マイクのスイッチを上げる。息を吸い込む。私は誇り高き委員長。大丈夫、私はやり遂げられる。
「皆さんこんにちは。これからお昼の放送を始めます。」言えた。さすがは委員長。それでこそ委員長。さあ最後まで走り抜け!
「担当は6年○○(私)…、」次に連なるは私に笑いの責苦を味わせた張本人Yさん。吸い込むブレス、頭に思い浮かぶYさんの名前、思い出されるYさんの滑稽な言動。あああ。
そこから先の記憶は無い。正しくは消した。薄目で脳内を見ると、羞恥と自責に身を焦がし、教室に戻れず階段で項垂れる私が見えたりはする。

 私の笑いに関するエピソードは多い。そのエピソードに比例して開催される笑いとの戦いは、私に未だ白星無しというのが事実。内心忸怩たる思いでいる。
高校1年生にもなって、担任の非常に秀逸な(取るに足らない)小ネタに誰も反応を示さない中、1番後ろの席でひとり笑い、10分経っても私の抑制した引き笑いの音が聞こえ続けていた時にはクラスを恐怖で震撼させてしまった。
 一度笑いのツボに入ってしまうと長いのも私の特徴である。これがどうにも辛い。まず、脇腹の筋肉が攣る。物理的に痛い。そして「あいつはいつまで笑っているんだ?」「そもそもそんなに面白かったか?」「いや、あいつはきっと日頃ストレス過多だからセロトニンを出させるために無理矢理笑ってセロトニンを稼いでいる可哀想なヤツなんだ」などと哀れみ混じりの冷たい視線を向けられる。精神的に痛い。多分私が年末恒例の某笑いを堪える企画に出たら、企画の進行を妨げ、企画趣旨を逸脱し、おしりは腫れ上がり、偉い人が頭を抱え、腹いせに悪編され、最後は視聴者に火だるまにされるに違いない。その恐怖から私はあの某年末番組が怖い。

 私と笑いの壮絶な戦いはこれからも続いていく。私に限定すると、笑う門には福来るどころかたちまち魑魅魍魎殺到の末、地獄の鬼たちまで列席して私を苦しめるはずだ。それでも私は願う。
来る2024年が、私を含め皆様にとって笑いの絶えない幸せな1年になりますように。良いお年をお迎えください。


2023年の最後を締めくくる投稿がこれで良いのか。

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