INFJの近隣タイプ(ENFJ)に抱く良い印象とコンプレックス
INFJ→ENFJ
ENFJに抱く良い印象
同じ「善悪」「正誤」へ関心が向きがちな、
Ni上位保持者同士。
そんなENFJに抱く良い印象は…
「政治力が非常に長けているな」
「正義」が何かを知ろうとも、
どうしても、I型は外界を軽視するがゆえに
それをばらまくエネルギーが不足していたり
熱意がわかないことがある。
その点、ENFJはFeが最初に来る。
INFJがNiデータのために仕方なく(?)Feを使用しているのとは異なり、もう根っから人の快のために動いている。尊い。
そこにつられて、引き連れて、輪はどんどん大きくなるのだと思う。
見習いたいと思う反面…
ENFJに抱くコンプレックス
信条を広めてくれるので助かることが多い一方、
う~んと思うこともある。
その最たるものは
「ちょっとまだ深掘りの余地があるな」
といった信条、宗教を
素早く周囲に広めてしまうこと。
深ぼったさき、今ある信条と真逆の結論さえ生む可能性もあるのに、Fe主導は人を喜ばせることに歯止めを知らない。
結果、先導(扇動)した内容がいかに誤りが含まれようとも、ゴリ押しで進めてしまうこともあり、非常に危ういなあ、と見ていて思う時がある。
自分でも違うって気づいても、引き連れた人の多さゆえ、身勝手に止まれないんだろうな、と思う。特に岩井社長は厄介ENFJの最たる例だと思う。多分もう本人も「筋」がなんだかよくわかんないんだと思う。ただ、もちろん亡き今もこれだけ慕われているということは、良いところもたくさんあるということだ。
INFJの私からすると「止まってくれないと困るよ、立ち止まって考え直してみなよ、いまが良くても後々つらいよ?」と思うことが、多々ある。
でも、人民は洗練された正義を必ずしも欲する訳では無い(むしろ正しいことを切り捨てるプログラムを人は組まれているとすら思う)。
なので、人を正義に導こうと思うのであれば、ある程度複雑でないシンプルなところに答の焦点を合わせる必要があると思うし、
それを計算抜きにできる点は見習わなきゃな、と思っている。
ENFJのゴリゴリに献身的な炎のような優しさに触れるたび元気が出るが、一方で、そんなENFJの信念(宗教)が世の中で評価されだすと「本当に正しいこと(そしてそれは大抵複雑で不快で受け入れがたいもの)」が受け入れられない世間に対して、悔しいな、苦しいな、もどかしいな…という複雑な心境にもなる。
でも、総じて、エネルギッシュで尊い存在だな、と思っています。
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