美しき地下音楽史のスナップショットⅢ - GAUZE解散によせて
2022年11月26日、GAUZE(ガーゼ)が解散しました。昭和、平成そして令和をまたにかけ41年間、日本のハードコアパンクのトップランナーとして、後進を育て、世界のファンに感動を与え続けてきました。
プライベートで私を知る人は、私のことを、まさかハードコアパンクのようなジャンル、誤解を恐れずに言うと暴力的なイメージをまとう音楽を聴いている人間とは全く想像もしていないと思います。ただ私の勝手なイメージでは、GAUZEのファンにはそういう、日常が、見た目が、パンクとはかけ離れた人が多いと感じています。GAUZEは心の中に「パンク」を持ってる人たちに愛されるバンドだと思っています。生活者の目線での力強い歌詞、ブレない信念・姿勢、何よりも圧倒的大迫力のライブが、聴く・観る人たちのバックグラウンドを超えてその心を鷲掴みにしてきました。
11月27日に解散が公表されて以降、多くの人がTwitterに様々な感情を吐露するのと同じように、私も彼らの解散に相当なショックを受けています。私が生まれる以前に結成され、ほぼ不動のメンバーで、音楽性もライブチケット代も変えることなく、GAUZEはそこに在り続けました。私は心のどこかで「GAUZEがいるから」と自らを鼓舞していたことに改めて気づきました。
彼らの解散によせて、GAUZEと私について少し書きたいと思います。
私がGAUZEを知ったのは中学生の時でした。きっかけは、ランキングで有名な「オリコン」でした。当時はメジャー誌にも関わらず挑戦的な雑誌で、デビュー間もない広末涼子が表紙のときもあれば、そのすぐあとに世の中的に無名に近いHi-STANDARDが表紙になったりと、振れ幅の大きい雑誌でした。その誌面の中に、いわゆるオリコンのランキングに加えて、自主制作盤のランキングがありました。
1997年、GAUZEの4thアルバム「面を洗って出直して来い」がリリースされた直後に、誌面で恐る恐る触れられていて、「彼らの音楽を聴くと背筋が伸びる」と書いてあり、この独特な表現で敬意を表されるこのバンドは一体、と思春期の少年は不思議に思いました。
その5年後の2002年5月19日に開催された「消毒GIG Vol.118」で初めてGAUZEのライブを体験します。そのときの感想が残っています。
その後もGAUZEのライブは何度か観に行きましたが、いずれも行くと必ず力をもらえる凄まじいものでした。自分の残した記録にある限りでは、
社会人になり忙しくてライブどころでなくなったり、さらに海外赴任もあり、暫くライブから足が遠のいていた時期がありました。長い海外赴任から戻り、やっぱり最初に頭に浮かぶのはGAUZEで、再び彼らのライブに通い始めました。その最初のライブ(2019年2月17日)がまた衝撃的で、その感動を伝えたくて一気にnoteに感想を書き上げたものでした。
そして、コロナウイルス感染症が猛威を奮う直前の、2020年2月23日が私にとって、そしてきっと多くの人にとって最後のGAUZEのライブとなってしまいました(2022年11月26日の解散日にもライブがあったようですが、招待制のため参加者はかなり限定されていたと思います)。
私の青春時代と共にあり、つらい社会人生活においても心の拠り所でした。GAUZEからは多くの「生きる」エネルギーをもらいました。それは元気であり、勇気であり、心の底から湧き上がる「明日も頑張ろう」という力の源です。iPhoneやアナログレコードでGAUZEを聴いて、「次の消毒GIGはいつかな」と情報を散策する楽しさ。あいつが知らないすごいバンドを俺は知っている、という優越感。(メンバーの皆様はサラリーマンで言えば定年前後のご年齢だと思いますが)その体力はどこから来るの?!と驚くばかりの、MC無しの60分ノンストップライブに「俺もああいう風に年を取りたい」と憧れ・・・生きる活力をくれたバンド、GAUZEを巡っていろいろな思いが込み上げてきます。
解散の理由は既に語られているので敢えて書きませんが、それはつらい事実を含む一方で、とても潔く、「ああ、二度とGAUZEを観ることはできなんだな」と真に諦めさせてくれるものでした。ショックはショックですが、同時に、ありがとうと感謝の気持ちが込み上げてきます。
日本の地下で輝き続けた宝を、人生の半分、20年間目撃できたことはとても幸せなことです。本当にありがとうございました。音楽から離れたとしても、生き続けてください。頑張ってください。
いつも読んでいただいて大変ありがとうございます。