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永遠じゃなくても、

 信じていたいと思っている。

 とにかく、感情の鮮度が落ちないうちに言語化したくて、取り急ぎ筆を執ることにした。まとまっていないけど、まとまらないうちにとにかく書いておく。

 2024年1月8日、成人の日、三連休の最終日だった、青天の霹靂。

 公式からのメール、に感じた嫌な予感。 Chapter II in Domeの、特に福岡で感じた自分の違和感が、1ヶ月ぶりにもぞっと目覚めて、皮膚の内側をゾワゾワ這い回る感覚。震える指で、パスワードを入力、アクセス、お知らせを読む。息が止まって、変な汗が出る。

 真っ先に思ったのは「今のグループ名を背負って、そのままひとりで永遠にしてしまうつもりなんだな」ということ。代名詞みたいなグループ名だったから、そうするために重ねてきた努力の一角くらいは知っていたから。

 永遠じゃなくても信じていたいと思っていた。Chapter II in Domeが寂しさでひたひたに満たされたコンサートだったのは、グループ名の改名を控えていることがもっぱらの理由だと思っていた。永遠なんてどこにもなくっても、あなた達を信じていたいと思うに十分なコンサートだったから、こんなブログを書いたのだ。

 でも、何も知らなかった。わたしは何も知らなかっただけだった。圧倒的な無力感が、ぽっかりはらわたに穴をあけてしまったようだった。

 去年の夏から秋、あなた達はどんな覚悟でステージに、歌番組に立っていてくれたのだろう。その他の仕事に立ち向かっていてくれたのだろう。重たいものをずっと持たせてばかり。かけらも背負わせてくれないのかな、そんなの寂しいよ、もう少しこっちのこと信じてくれたっていいじゃん、一緒に時代を創って行きませんか?って、言ってたのに、もう一緒に創らせてくれないのかな。

 そういった言葉が自分から湧き出てきて、醜すぎるエゴだと見なくても分かるような、目も当てられない、ごめんなさい、幸せを、笑顔を願ってくれているのに。

 ほんの少し冷静になってみても、残された短い時間で、わたしにできることは多くなくて絶望する。ひょっとすると結局は、信じることしか出来ないのかもしれない。永遠じゃなくてもあなた達を信じていたいと思ったわたしと、わたしがそう感じるだけのエンターテイメントを与えてくれたあなた達の両方に誠実であるために、わたしにできること。あなた達を信じること。

 まだすっかり混乱の渦中で、わからないことだらけで、寂しくて辛くて苦しくて、でも信じていたいと思っていて、Dreamやtimelessを聞いて泣きながら出退勤して、多分明日の朝もじわっと泣きながら出社すると思うけれども、でもやっぱり信じていたいと思う心はどうしてもなくならない。

 あなた達がいのちを砕いて振りまいてくれたエンターテイメントの星屑は、キラキラひかりながら、確かにわたしの胸の内にある。